今日も今日とてやきそばカレー

たのしければよいのだ

相転移

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26になっても寝込むときは寝込む。仕方ないとわかっているけれど、まあ悲しい。体が動かないという悔しさと、それすら疑ってかかる自分がいるのだから始末に負えない。確定できることなんて何もなくて、何かを決めるのはいつだって自分自身で、「ちゃんと」自分で決めるというのはただひたすらに厳しい。

しかし、やらねばならない。

 

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わたしは「ちゃんと」という言葉をよく使う。「きちんと」よりも音も意味もほぐれている気がして好きな気がする。ちゃんと。

どうにも苦労の多い人生だけど、楽しいときはちゃんと楽しく、苦しいときはちゃんと苦しい。嘘のない人生という感じもする。少なくとも生きているという実感はある。

 

理屈も感情も一つ一つに手応えがある。突き詰めてみれば、別に自分の人生が嫌いということは決してなくて、味わい深い豊かな人生だとはっきり断言もできる。大量生産されない人生というのは、まあ重い。聞く側も重いだろうが、それを生きる本人にとってこんなに重いものはないのである。人に語るときはある程度緩和して語らなければならない。本気で話すと胃もたれを起こす気がする。

 

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数年前まで、もう少し見てくれをよくしようと思っていた。このブログの記事を何個か読んでみればわかると思うけど、使う文体に統一感はないし、実生活でも言葉や考え方、一人称ですら、揺れる。一人の人間の中によくもまあこれだけ詰め込んだものだと自分でも思わないでもない。

とにかく日によって体調が変わるし、それに伴って人格みたいなものも変わるので、使う言葉も多種多様、なんならその日その日でわたしは毎日違うと言っても過言ではないだろう。

でもそれは当たり前で、だって昨日の自分と今日の自分には1日分の経験の差があるのだから、違わないはずかないのだ。

 

昔はその違いをもう少し整えようと思っていた。具体的には使う言葉の統一と、ネガティブな自分とポジティブな自分を切り分けようと思っていた。誰にでも経験のあることだと思う。ペルソナは何のためにあるかといえば、使い分けるためにあるのだ。仮面を持っているのに然るべきときに被らないという人はなかなかいないだろう。

ここではこういう自分を出す、と無意識でも意識的にでも決めてしまって、それを容易く実行できる人は大勢いると思う。そして、そういう人は社会のレールから外れにくいんじゃないかとも思う。

どうもわたしはペルソナを被るのが苦手で、何ならその日その日で新しく仮面をつくりあげているようである。それはもう仮面じゃないんじゃないか、という気がしないでもないけど。

 

人にみっともないところを見せないようにしようと何度も思ったけれど、どうにも難しく、もう仕方がないから全部諦めて受け入れてしまって、さらけ出してやろうと思って、今もこういう文章を書いている。鍵垢だとか限定公開やら、あれはそれなりに器用な人がするものなのだな、と思った。わたしはその点全く器用じゃないので、もう一つのところに全部ぶち込んでいいだろうということになった。

リアルで仮面を被れない人間がネットで被れるはずもなく、被れないのならそれはそれでもう仕方ないのだから、こうしていろんな自分のごった煮みたいなブログが出来上がっているのである。テンションの差に未だに辟易するけど、それが自分なのだから仕方がない。

 

仕方ない、という言葉は弱気なように見えて、「ちゃんと」諦めてしまっているから、これほど強い言葉もないだろうと思う。三島由紀夫の「命売ります」を読んでいると、あの主人公の妙な強さは全てをちゃんと諦めてしまっているからだとわかる。まだ数十ページ残っているからどうひっくり返されるかわからないが。

 

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今更とことん弱くなることもできない。たくさん諦めてきたから、今もとことんネガティブな文章を書くことができない。弱くなるのは本当は楽なのだ。楽になってしまいたいが、だって今もわたしは生きていて、これからも生きるのだから、そんな大真面目に弱くはなれないのだ。

 

いつもそんなつもりはないのに、書き終えてみればやたらと力強くなって、変だなあと自分で思っている。

 

 

品川やきいもテラス

最近は焼きいもの屋台を見ませんね。焼きいも美味しいのに。お洒落なキッチンカーでコーヒーとか異国料理を提供するよりもまず、おいもを売ってほしいのです。

 

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品川やきいもテラスは去年も噂だけは耳にしていて、行きたいけどちと遠いな、と諦めていたイベントです。今年はがんばって焼きいものためだけに、遠路はるばる行ってきました。

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 電車で移動中に公式twitterを見たら、ただいま3時間待ちです!!ってなってて一瞬挫けそうになりました。

 

焼きいも待機列≒遊園地のアトラクション?

 

会場は品川シーズンテラス。品川駅から歩いてすぐです。途中SONY本社ビルがあって、SONY信者として個人的に盛り上がりました。

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会場はすでに焼きいもを求めてさまよう焼きいもゾンビでいっぱいでした。さて、どの列に並んだものか……。ぐるっと一周して、結局「石焼き芋 のぐち」さんの待機列に加わりました。一人で来てるし本当に3時間かかったらトイレとかどうしよう……って心配だったんですけど、無事1時間かそこらで念願の芋にありつけました。写真はのぐちさんとこの紅はるか。とろあまです。

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もう一つ、気になっていた「あめんどろや」さんの芋蜜けんぴも購入。こちらはお土産専用レーンがあって、すぐに手に入りました。

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芋蜜はその名の通りおいもからつくった蜜で、ほんのりすっぱくて素朴な味がしました。細い芋けんぴがとても気に入ったので、自分で揚げてつくるのもいいなあと思ったり……。手土産に良さげです。煎茶と一緒にいただきたいですね。

 

「あめんどろや」さんは千駄木にお店を構えていて、大学芋や芋蜜をかけたソフトクリームも売っているみたいです。商品の少なさとかホームページの雰囲気を見てると良店感がひしひしと伝わってきます。こういう心がちゃんとあるお店がちゃんと生き残れる社会だといいなあとか思ってしまいます。

 

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おいもといえば、最近のさつまいもはものすごく進化してまして、シルクスイートなんかは「芋、やめました!」っていうレベルでとろあまです。焼くと芋の形をしたスイーツになる。とにかくなめらかで、植物繊維的な食べにくい筋とか、ありません。

シルクスイートの前は紅はるかも話題になってたけど、いやはや……。オーブンで焼くだけで十二分に美味しいのだけれど、ここまで美味しいとなんかかわいそうになってきます。植物としてのプライドとか、どこ行っちゃったの?って。人間が捨てさせたんですけど。

 

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芋、食べましょう。

買ってもいいし自分で焼いてもいい。できれば落ち葉焚きがシチュエーション的に最高ですけれど、ド田舎でもない限りむずかしいので……。最近はスーパーで軽妙な音楽を流しながら売られているのを目にします。あれでいいので、買いましょう。時代はおいもだ!

競争原理の中にいる自分は

とてもいじわるだ。どうやって論理で人を殴ろうかとか、そんなことばかり考えている。クズだ。

 

流石にドのつくほどのクズだとは言わないけれど、それでもいじわるな人間のことは、多少、わかってしまう。競争の真っ只中ではわたしは確かにクズだけど、それを自分でよく知っていて、それを誰よりも嫌っているからこそ、競争から降りたいのだ。

 

競争の無い世界にいきたい。行きたいし、生きたい。いじわるが心の底から嫌いなのに、競争に巻き込まれるとついいじわるになってしまう。そんなのは嫌だ。

 

だから降りなくちゃならない。

いじわるな人間になるくらいだったら、社会のレールを降りた方がよっぽどマシだ。獣道には優劣が無いのだから。

 

心穏やかに暮らしたい。

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追記

ちょっと強い言葉を使いすぎました。夜中のなんちゃらというやつだ。わたしは最低なことを考えるのは割と得意だけど、実際に行動するわけじゃないから、クズってのは自分で言いすぎですね。

 

世の中のモノやシステムを見ていて、たまに「あっっこれものすごく頭のいい人がものすごくいじわるにつくったやつだ」って気づく瞬間があります。悪意を感じるものづくり。すごく気が滅入ります。

効率やお金のことを思えばそういう手段も確かに存在します。あとはそれを実行に移すかどうか。頭の中は誰だって自由で何をしたっていいけれど、それを実行に移すか移さないかというのは、大違いなわけです。

 

わたしは競争の中にいると割と巻き込まれがちで、無意識にそっち系のスイッチが入ってしまう。誰だって程度の差はあれそうだと思うんですけど、わたしは自分で自分に耐えられそうにないので、やはり意図的に競争から降りる必要がある。

 

「被害者はいつまでも覚えてる」って言うけれど、自分は被害より加害の方が記憶が残りやすいというか、何度も思い返してあ〜〜〜〜!!ってなります。被害は許せば終わるけど、加害はいつまで経っても終わらない。許された、という実感を持つことができないからです。

 

わたしは人と心がつながりにくいから、水に流す、みたいなのも感覚的にわからなかったりします。それで、こっちがいつまでもやっちまってすみません!すみません!っていう態度でいると、どうも人は嫌がるみたいです。実際卑屈はめんどうなだけですし。

だからここ数年は、どうも水に流せるっぽいぞ、と恐る恐る許し許される真似事みたいなのをしてます。

 

人の心は複雑怪奇であるなあ

バレンタイン

毎年、えっ?もうバレンタイン?早くない??ってなります。なんとなく春のイメージなのです。春は気候もおだやかだし、自然と心もおだやかに……。こういうイベントはもっとあたたかくなってからの方が成功率上がるような気がするんですけど、どうなんでしょう。

 

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さてさて、大学に行っている間はもーーーー全くお菓子づくりの余裕なんて無くて、せいぜいチーズケーキとクッキーとキャラチョコ作ったくらいで終わりました。

しかし今年は違う!なぜならバレンタイン以前に学校が終わっているからだ。学校が、終わっている。深いですね……(?)

 

ちなみに去年のバレンタインはキャラチョコでした。ポケモンシリーズに出てくるみがわりぬいぐるみを模したキャラチョコ。やってみると意外と簡単なので、みなさんもぜひに。

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今年は、なななななんと、ザッハトルテです!

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見た目もそこそこ麗しい(右奥はお供物みたいになってますけど)。今回はまごうことなきチョコレート菓子です。キャラチョコは楽しいけど、あまりチョコ感ありませんからねえ。百均のチョコペンでつくってるし……。

 

今回に限ってなにゆえそこまで凝ったものを準備できたのか。それは、ABCクッキングスタジオの体験コースを利用したからです。

おねえちゃんが元々ABCクッキングスタジオに通っていて、誘われまして。調べてみたら、ちょうどバレンタイン向けの体験コースが設けられていて、500円でザッハトルテが3つできるという。本格的なお菓子をつくるのは久しぶりで、本当にとてもたのしかったです!

 

スタジオの先生に、卵の割り方とか切り混ぜのコツとか、色々教えてもらいました。こう、足を運ばないと自分ではアクセスしにくい情報ってあるじゃないですか。そういうのがギュッと詰まってます。お料理ってやっぱり口頭で伝承するのに向いている文化って感じがしますね。見て、聞いて、手元を動かす。言われた通りにやる。

 

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それでですね、ちょっと高いんですけど、通ってみようと思うんです。

本当はお料理の基本・知識コースがよかったんだけど、こちらは最低でも12回行かないといけないみたいなので、とりあえず6回で終わるお菓子コースにしてみました。

本当は基本・知識コースで揚げ物とかお魚のおろし方とか教わりたいんだけどね、でもお菓子もたのしいし、美味しいから!

 

もちろんお金は使えば減るので、なにか収入の手だてを考えなくてはなりません。ひとつそれっぽい話があるけど、どうなることやら。

 

なにはともあれ、たのしいから、よいのです。

決断

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まだ何も決めていない。

 

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もやもやとした得体の知れないものにハサミを入れて、無理やり切り取っていく。ある意味無粋な行為。切り取ったものを言葉でできた箱に詰めて、それを分けてみたり並べてみたり。

 

カラーホイールはグラデーションになっているけれど、ピンポイントでここと指定したら、ある色が浮かび上がる。人の心も体も社会もどれもぼやぼやと霧のように続いているのに、わたしたちは霧全体を見ることはできなくて、どうしても便宜上、ある一部分を切り取る必要が出てくる。

 

どれも間違っているしどれも正しい。疑い出せばきりがないし、全部を同じ重さで考えるのはとてもしんどい。等しく疑うなんて不可能に近いんだけど、それでも自分ができる限り等しく疑わなきゃいけない気がする。

 

わたしはわたしの出来る範囲で、全部の可能性を一度はちゃんと考えたい。

そんなことをずっとやっているから、疲れてしまうんだろうけど。

自分の救い方

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社会に受け入れてもらえない自分を好きになるっていうのはすごく難しい。嫌いから好きに転じるまで何年もかかるし、好きになったと思っても何かの拍子にまた嫌いになったりすると思う。

大変なものを抱えた誰かが自分のことを好きになれたと実感したとき、大抵みんな自身の努力、家庭環境、お金、人との巡り合わせとか、そういうものに恵まれたって話す人が多いように思う。この「恵まれた」って言葉はある意味で真実だけど、じゃあ恵まれなかった人たちはどうするの?という問題が残る。恵まれたという言葉で片づけることは論理的には正しくても、本当に苦しい人たちの希望にはならない。

 *

世の中にはとても大変な環境に置かれている人がたくさんいて、そういう人たちは本やネットを使って何かないか、何かないかとずっと探し続けていると思う。探す手立てさえない人もきっといる。それでも涙を流して息を切らして、希望を一生懸命探そうとする。わたしも何度も(今でも)経験してきたけど、そういった苦しみに慣れることは全くなくて、いつも新鮮に苦しい。

今の時代は幸福のハウツー情報であふれている。これらは、何かに救われた人が同じように誰かを救いたいと願って、自分の経験が真実だと信じて書いたものだ。別に何でもいいんだけど、早寝早起きで幸せになれる!運動で幸せに!!瞑想で!!!みたいな情報であふれてる。それを見ていると、意外とみんな別々のもので救われていて、しかも矛盾している内容もある。

つまり、悲しいけれど「これさえあれば救われる」というたった一つの何かは存在しないんだと思う。

 *

当たり前だけど人はみんな違う。姿かたち、性別、五感のバランス、認識の仕方、性格や価値観、そして家庭環境や社会階層にいたるまで何から何まで違う。だから自分を好きになったり自分の人生を救いたいときにはオリジナルなやり方を考案するしかないのだと思う。

早起き一つとっても色々な方法があって、大音量の目覚ましを使うとか、誰かに起こしてもらうとか、早起きする!って宣言するとか、道具から精神論までなんでもある。どれがそのときの自分に合っているかは、やってみないと分からない。

 *

たくさんのことを試して、失敗と成功を積み重ねて、ようやくオリジナルの「自分の救い方」を完成させたとする。でも人間は一人で生きているわけじゃないから、誰かを好きになったり嫌いになったり、いじめられたりいじめてしまったり、状況は刻々と変化する。人間だけじゃなくて、環境……たとえば災害によってある日突然すべてが失われたりする。1からどころか0に近い状態からやり直さなきゃいけないこともある。

一生幸せでいたいなら、一生かけて人は自分を幸せにする方法を探し続けなきゃいけない。自分でも書いててうんざりするけど、人生ってたぶんそういうもので、本当に、途中何度も放り出したくなる。

 

まあでも、そうやって生きることで「ああ生きてるな」って実感できたりする。意味のある人生を送っていると思えてしまったりする。苦しいけど幸せなのかもしれないとか思い始める。……ような気がする。

潮時

そろそろ、というやつ。

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 * * *

これからどうしようもないことを書きます。もういい加減向き合わないといけないし、向き合うだけの体力気力もあるだろうと見込んで、どうしようもないことを書きます。

自分の人生を生きているという自覚を持つべきだな、と思ったのです。

昔からいろいろなものに対して敏感で、軽度のものから重度のものまでたくさんの病気にかかりました。
小2のころの登校前の頭痛、中学年には胃痛がして、小5で心因性頻尿。不登校保健室登校を経て中学、高校と進み、今度は膿疱性乾癬。このときには1週間入院して全身の皮膚が剥がれ落ちました(誇張表現でなく)。ひどい画像なんですけど、それだけストレスがあった証に載せておきます。

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痛くはなかったので大丈夫(?)


こんな有り様になると両親はとても心配するわけです。わたしだって同じ立場だったらめちゃくちゃ心配します。この病気と祖父の死がきっかけで、高校も行けなくなり、2年生12月に高認を取得、翌年の3月に中退することとなりました。
本来なら3年生であるはずの1年間は愛犬とカメラとホルンと粘土などでテキトーに過ごし、みんながセンター試験を受けている日には母校(退学済み)の周りで飛行機を撮っていました。なんとなく正門に行くと1年生のころの担任がいて、カメラの話を少ししてから帰宅。

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わたしは記憶が乏しいのですが、センター試験の少し前に「そろそろ勉強しようと思う」と親に宣言していたらしいです。4月から本腰を入れ始めて、それはもう酷い、浪人生(実質初受験だけど)としての1年が始まりました。
やっぱり集団教育に馴染めないので、東進のVODを使って自宅受講を繰り返す日々。第一志望の大学はぜんぜん駄目だったので、センター利用で受かっていたこじんまりとした大学に行くことになりました。
この辺の決断をどうやってしたのか、今となってはよくわかりません。そもそもなぜ東京に行こうと思ったのか、なぜ一度も足を運んだことがない、全く知らない大学を滑り止めにしたのか。たぶん前者は「みんなそうしていたから」で、後者は立地だったのかな……?

 *

遂にはじまった大学生活も、やはり酷いものでした。小学校のときには「中学は違うから大丈夫だよ!」と、中学のときには「高校は違うから~~」、高校のときには「大学は~~」。希望を持っては裏切られ裏切られ、大学でも駄目だったときの絶望感は半端なく堪えました。
体も心もだめになって動けなくなるたびに、実家から両親が迎えにきました。今振り返っても壮絶ですね。1か月か2か月に1回は富山に帰っていました。そして、この頃にようやく発達障害の診断が下されます。自閉症スペクトラム障害。地元の主治医は「高校生の時点でわかっていたけど、あなたにとってまだ必要でない情報だと判断したから、言いませんでした」と。

 * * *

今はこの頃に比べるとかなりマシです。上京当初はスーパーに入ることすら苦痛だったので……。どこに行っても未知ばかり。情報と情報と取捨選択。今振り返ると、そんな状況で大学に行けないのは当たり前ですよね。
それでも東京に来てよかったし、一人暮らしをしてよかったし、大学にも行けてよかった(今も行ってるけど)。苦しんで試行錯誤したおかげで、すこしは世界のことが分かるようになりました。政治、歴史、哲学、経済、社会。そして、それらを構成する一人ひとりの人間。

 *

ここら辺が多少なりとも理解できるようになったは、大学での勉強と彼氏のおかげでしょうか。当然と言えば当然ですが、わたしは数年前まで猛烈な知的コンプレックスを抱えていました。「学校に行っていないわたしは、きっとみんなが知っていることを知らない。怖い。馬鹿にされるに違いない」と。
彼氏とはSNSで知り合いました。この人面白そう、とわたしから声をかけたのがきっかけです。あちらは大変頭がよかったので正直怯えそうになったのですが、知り合った時点で「僕は君が何かを知らなくてもそれで馬鹿にしたりはしないし、むしろ教えてあげたいと思う」と言ってくれて、このたった一言のおかげで、かなり救われました。その節はありがとう。

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 * * *

わたしには生きるための事前情報があまりにも足りなさすぎたのだと思います。その情報もすこしずつ揃ってきて、去年からはやっと長期バイトも始められた。だからそろそろ、親の庇護下から、ゆっくりと出ていかなければならない。
わたしは未だにかなりの頻度で体調を崩します。発達障害慢性疲労症候群の、26歳大学3年生。昔より「自分」がしっかりできていて、世界のことも少しだけわかる。自分の個性も好きだと思っている。

そろそろ、自分の人生のことを自分で考えることができるんじゃないか、と。何かを決断するだけの力があるんじゃないか、と。そういうことを真面目に考えなければいけない時期に来ている気がします。

年末年始の一騒ぎと、その余韻

27日に富山に帰って、28日はおねえちゃんのお友達とリースづくり体験。30日は数年ぶりに幼馴染と会って、お茶とゲーム。おばあちゃんともたくさんお話できたし、工場カフェやアン・ファミーユのケーキもおいしかった。

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空いた時間で現代コミュニティ論とイスラーム世界についてのお勉強をして、ちょっと遅い年賀状を書いて、ついでにホルンのお手入れ。

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3日の誕生日にはたくさんの人が祝ってくれてうれしかったし、4日は幼馴染とその彼女さんとゲーム三昧で、これもとてもたのしかった。そのあとすぐ富山駅に向かって、夕方の新幹線でこちらに戻りました。

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……たのしかったのは大変、それはもう大変よいのですが。やっぱり東京に戻ってから、体調崩しまくってます。

結局年明け一発目のバイトは行けませんでした。すぐ何かに夢中になって頭どっかいっちゃって、疲労に気づかなくて、あゝかなしいかな、負のスパイラル。

もう8日なんですね。知ってたけど知らなかった。さっき「よく考えたら次の金曜と月曜にテストがあるじゃないかー!!」と、すこしパニックになりました。

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自分がどこまでできてどこが限界なのか、いまだによくわかりません。発達障害とか慢性疲労症候群という言葉に縛られすぎているような気もします。思い込みが激しいと、便宜のための言葉がそのまま本当になって、症状に拍車をかけるのです。

そういう意味では信じられるものは本当に少なく、やはり全てを疑ってかからないといけません。常識と言葉と、自分が実際に感じている(はずの)体調でさえも。

 

わたしは毎日安定して体が動けばそれでいいのですが……。たのしかったから、いいのかな?

いいのかなあ。

解禁

これが2017年最後の記事になりますね。

 

前々回。自分が今死んだら、誰もわたしの頭の中で考えていることを知らないままになってしまうんだな、というような内容のことを書きました。

 

だから話すことにしたのです。ここまでの人生幸か不幸か、考える時間は山ほどありました。腐るほど時間があって、でも誰にも伝えられずに頭の中で実際に腐っていった「なにか」。わたしが話さなければ、話さないまま死んでしまえば、本当に誰にも知られずに終わってしまうのです。頭の中で腐っていったことさえ、きっと知られることはないのです。

 

わたしは一生懸命生きてるし全然死ぬ気もないけれど、それでも死がそこらへんに転がっていると日々実感して生きています。わたしだけでなく、誰でもそうです。いつ死ぬかなんてわからない。

 

わたしが死んだあとに何も残らないとは決して言いませんが、それでも人より残せるものが少ないように思えてしまいます。学校に行かず人とつながらない生活はある種とても平和でしたが、今はそれが怖くてたまりません。

歴史というものは観測する他者がいてはじめて成立するものです。観測されるためには頭の中のものを表に出さなければなりません。表とは、すなわち社会です。人とつながらなくてはなりません。

 

自分でもなぜ死んだあとに何かを残したいと思ってしまうのか、よくわかりません。生きた証を残したいのかな。社会との関わりが希薄だからこんなことを思うのかもしれませんね。

 

わたしは確かに存在して、こんな人間でこんな人生でこんなこと考えて感じてて……。そういった全てをどこかに残しておきたいです。デジタルにもアナログにも、人の心の中にも。

 

そんなかんじです。

ではでは、みなさん良いお年を!

最近のお買い物

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正しくは使いすぎてお金がないのです……。

 

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今年(特に後半)はたくさんお買い物をしました。これもひとえにソフバン長期ご契約者様特典のおかげです。

 

  • 契約更新のたびに3000円分の期間固定Tポイント
  • 上記に加えて毎月500円分の期間固定Tポイント

 

さて、ここで問題となるのが「期間固定」Tポイントです。この定義をちゃんと確認しないと、楽天派だったのにyahoo!ショッピング派に転向する羽目になります。悔しい。でも使っちゃう……。

 

期間固定Tポイントという言い方だけ見れば、1か月かそこらで期限切れるんやろなーとか考えると思います。それなら何故「期間限定」という言葉で表現しないのか。

 

利用先が固定されているからです!!

 

ソフバンの長期契約特典でもらえるTポイントは、利用先がヤフージャパンだけに固定されてます。

 

そいでもってですね、最初にまず3000円分来るわけです。わたしは普通のTポイントだと思い込んでたので、ファミマで利用でもしよかな〜〜おやつ代GETだぜ‼︎と無邪気に喜んでいたのですが。

で、いざポイントが付与されて気づく「期間固定」の意味。こういうことがあるので、記載内容はしっかり読みましょう。米印ついてるとことか大事ですね。

利用先が固定されているとはいえ、3000円はでかい。なにか買いたくなります。紅茶とか文房具とか。

 

以下は期間固定Tポイントを利用して買ったもの一覧です。

  • デスク(レポートで追い詰められてたときの写真なのでいつもこんなぬいぐるみ盛り盛りじゃないです)
  • カーテン
  • 万年筆のインク(iroshizukuの露草)

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全然3000円に収まってない!カーテンに至っては1万超えてますよ!!

見事してやられたというか、なんというか。きっとバイトも始めて気が大きくなっていたのだと思います。でもASDにとって環境構築はヒジョーに重要だと考えているので、後悔はないです。

 

もっとお金かせいでもっと使いたいな♡