FEELS SO GOOD

たのしければよいのだ

記憶を噛む

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村上春樹アフターダーク』を読んでいたとき、記憶を生きるための燃料とする話があった気がする。話があったというか、会話があった。高円寺に住むトロンボーン吹きの青年が言っていたか。

どうでもいいけどわたしには素晴らしい姉がいて、わたしは妹で、やっぱり小説のように綺麗に役割分担している。補完し合える相手なのだと思う。姉はトロンボーンを吹き、わたしはホルンを吹いていた。ジャズが好きで、中央線沿線に住んでいる。中学の美術教師が、アフターダークを読んでいるとわたしたち姉妹を思い出すと言っていたらしい。なんとなく頷ける話だと思った。

記憶が燃料になるかどうかはわからないけれど、記憶はまあ不思議なガムのようなものだと思ってる。味がなくなるどころか、時間が経つにつれてどんどん美味しくなる、不思議なガム。

ただ、いつまでも人前でガムを噛み続けてるのは、やっぱり下品かもしれない。
たまにこっそり隠れて、年月が経ち熟成された記憶を、はみはみと反芻する。
記憶というものは本当にいつまでも美味しく、美しく……

記憶を噛むとき、わたしはそれを記憶した瞬間のわたしと同期できる。空間と時間を越えてそこに移れるし、色も感情もそのときのままで、空は青く、憧憬に似た何かも鮮明によみがえってくる。
仰ぎ見た友達の姿と熱い夏の温度と、組まれた足場。これが彼女とわたしの距離なんだ、と胸に湧き上がったなんらかの感情。そしてそれを客観視する自分、とか。

そこはとても綺麗だけれど、そこに居続けると現実に戻れなくなるから、こうやってブログを書いたり家事をしたり。現実のことをして「ここ」に戻ってくる。燃料と呼べるほど力強いものではないけど、家にいながらいつかのどこかに行けるというのは、なかなかに便利で、愉快な機能だ。

なるほどにんげんの脳に、限界はないのだ。

無題

たくさんの人を見ていて、ああこう伝えたいな、と思う瞬間がある。自分の経験を何か話したら参考になるんじゃないか、とか。
そういうときいつも思うのは、じゃあ自分はそのとき人の言葉を受け入れるだけの余裕があったか、ということで。もちろんそれは無かった。ただ記憶はしたけれど……。

そもそもの話、わたしは誰かを助けられないし、誰かもまた、わたしを助けられない。自分を助けられるのは自分しかいない。間接的に、何かのきっかけになることはあっても、自分を救うという決断は自分にしかできない。

その決断は単に意志だけの問題じゃなくて、タイミングとか環境とか、色々ある。ずっと昔も「伸ばされた手を掴むかどうかは自分にかかってる」とどこかで書いたけど、今もその考えは変わっていない。だから手を掴んだという決断をしたときには、ちゃんと自分を褒めてあげたらいいと思う。

わたしは誰かに言葉が届くと、信じてるようで信じていない。ただあくまで個人的な体験を独白的に綴ることで、なにかやさしい形で言葉を、経験を届けられる可能性があるかもしれない、と思ってる。

善意なんてものは大概押しつけがましいし、それはエゴだと思っている。人から善意を受け取るときには考えないけれど、わたしが主体的にこうしてあげたらいいんじゃないか、というのはあまりに傲慢で、だからそれはやりたくない。

ただ、みんな笑ってるといいなと思う。

ifと決断、人と関わるということ

ここ数日ぼんやり、ぼんやりしてました。
例によって何か考えなきゃいけないこと、言語化しなきゃいけないことがある気がして、数日かけて頭の中を探り、すこしずつその「何か」が見えてきたので、とりあえずブログに書いてしまおう、と。

 

 * * *

 

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さて、何個か前の記事で昨年のテーマは無力感だった、みたいなことを書いたと思います。わたしはずっと社会的な無力さ加減というのを感じていて、それは文字通り「力」の問題だったわけです。
つまり、体力と精神力の不足。すぐ疲労困憊して起き上がれなくなる体と、視覚がまともに機能しなくなるくらいの脳疲労。能力の偏りと……スモールハートも、まあ入れてもいいでしょう。よくも悪くも愚直なところ、ここまでの経緯。

 

その力の足らなさを、今までは努力ひとつで補おうと思っていたわけです。それでも一昨年くらいからあまりにもあんまりなことが続き、これは努力だけではどうにもならないかもしれないな……と薄々勘づいていました。
後悔しない生き方を!がモットーみたいなところがあるのに、肝心なところで動けないという出来事がいくつかあって。悔しさを圧縮して丸めて、ボール状にしたものを立て続けにぶつけられたような、そんな気分でした。

具体的にはやっぱり、愛犬を看取れなかったことと、とーこちゃんが亡くなる前に会いに行けなかったこと。そして、正直なところ、それを仕方がないと思う自分もまた、同時に存在していました。

 

 *

 

なぜ、仕方がないか。これは簡単で、だって「わたしだから」という雑な説明に納まります。説明は上述した通りで、なるほど仕方がない。わたしは生きることは諦めずに、でもどこかでひどい諦念を抱いてきた理由として、自分の体と脳(あるいは心)の限界をめちゃくちゃに知っていた、ということが挙げられると思います。

最近改めて生活していて思ったのですが、そもそもの話東京で一人暮らしをして大学に行くということにめちゃくちゃ無理があった。さすがにこれは認めます。何なら一人暮らしをすることに無理があった、に言い換えても全然違和感がないくらい。

客観的には無理だったものを根性と家族の支援でなんとかやってきたのが今のわたしで、その自分は全くもって嫌いでない。なぜなら気が狂う程に努力してきたという事実を自分が一番よく知っているからです。しかし、それでも足りなかった。努力だけでは駄目だとなったのが、たぶんさっき挙げた「死」にまつわる話です。

 

一匹と一人の死と、それに対するわたしの対応は、あってはならないことだった。小さいころから死についてずっとずっと考えてきた人間にとって、それは絶対にあってはならないし、たぶん許せることでもなかったはず、でした。

 

 

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わたしの世界は最初から閉じていて、良識のある両親に育てられたにも関わらず、わたしは家族を含め、誰も彼もに殺されると思って生きていた時期がありました。愛情を持って育てられていても、そもそも受信側のアンテナの感度が低かったら、やっぱりどうしようもないのです。
これが自閉症スペクトラム障害と言われる所以で、わたしは人(あるいは公権力)に名前をつけられるのが嫌いだけど、この診断名だけは、それなりに的を射ていると思っています。

ずっと自我や意識と呼ばれるものがべったりと貼りついていて、だから自我や意識がなくなってしまう死や睡眠を苦手としていました。今は克服しているけれど、昔たしかに寝るのが怖いという感覚があって、まあひどく苦しめられた気がします。

ASDは良くならないみたいな言説もあるけれど、年齢を重ねるごとに分かることは確実に増えていきました。まあまあ笑えるようになったし、今は人も社会も心底好きだと思っています。

 

 *

 

話を戻します。

とにかくそうして、死を意識してずっと生きてきました。死にたいという意識の仕方ではなくて、その逆、死にたくないからこそ、死についてずっと考えてきた。自分や周りにその最悪最大の恐怖が襲い掛かっても動揺しないように、心構えをずっとつくってきたつもり、でした。

……でも結局、そのときには何もできなかった。

 

 

昨年退学をきっかけにたくさんのことにチャレンジしたけれど、どれも結果を出せなかったり、そもそも結果を出すための行動の過程で身も心も疲弊して、起き上がれなくなることが多々ありました。そしてそのどれもが、やっぱりとても悔しかった。

もっといい絵が描けたら。もっといい文章が書けたら。もっといい写真が撮れたら。そのどれもにもっと時間と手間を費やし、コンテストに応募できたら。もっとお金を手にすることができたら。もっと行きたいところに行き、見たいものを見て、やりたいと思うたくさんのことを叶えられたら。……

これまでの人生では、わたしはこの解決法を自分だけに求めてきました。わたしが努力すればいつかなんとかなると信じていて、なるほど、ある程度まではそうだった。でも物事には限界があったようです。もうだいぶ、本当に努力してきたはずだった、ので……。

 

じゃあ努力以外の何があれば、わたしはわたしのしたいことを叶えられたのか。

もしも○○があったら、の問いの答えは、結局「もしもわたしが独りじゃなかったら」ということだったのだと思います。形式からはすこし外れるけれど。

 

 * * *

 

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最近アップリンク吉祥寺で映画『天才作家の妻 40年目の真実』を見たり、友人夫婦の話を聞いたりして、また色々考えていました。人は結局一人では生きられなくて、補い合う形でしか大事な「何か」は成立し得ないんだろう、と。わたしが生きてたくさんのやりたいことを実現するためには、どうしたって違う個性を持つ違う人たちがたくさん必要になるはずで……。

さて、小学5年生から何もかもずれていった自分に、人とどのような関わり方ができて、何を差し出せるかは皆目見当がつきませんが、……

 

方針はやはり、決まったような気がします。

音楽のはなし、ジャズ・フュージョン・クラシック

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今できることと言ったらこうして何か書くことしか思いつかないので、今日もブログを更新します。

 

 * * *

 

最近マル・ウォルドロンをよく聞きます。ジャズピアニスト、ですね。アメリカより日本で人気があるみたいです。抒情的ですが、かなり暗い。黄金色(あるいは透明感のある浅葱色)のキラキラしたキース・ジャレットをひたすら暗く、青銅色にした感じ。響きが悲しい。哀しいではなく、悲しい。真に迫っています。光のキース・ジャレット、闇のマル・ウォルドロンですね。気分によって使い分けるとよいかも。

なんとなーくセロニアス・モンクを思い出す感じもします。音の選び方、かな。マルのYou Don't Know What Love IsとモンクのEverything Happens To Me、とか。マルは理性があるけど、モンクはその点白痴気味です。どちらもすごく好き。

 

ジャズ・フュージョンが元々好きでよく聞くのですが、そういえばこの辺の音楽を再度聞けるようになったのも、大学退学する直前くらいからかもしれないです。好きだったカフェにもいつのまにか行かなくなり、音楽も聞かず、そういえば、そうですね。まったくわたしらしくない過ごし方をしていました。あの時間は何だったんでしょう……?

ジャズで好きなのは、やっぱりオスカー・ピーターソン。We Get Requestsが至高です。ジャズピアノとジャズギターが好きで、CDもその辺に偏ってます。ギターはパット・メセニージャコ・パストリアスが好きかな。でもそんなに知らない。あと秋冬はヴィヴラフォンを聞くと、なんだか身も心も温まりますね。ミルト・ジャクソンゲイリー・バートン

iTunesのジャズ・フュージョンフォルダのアルバムの数を数えたら、77ありました。音楽好きだったらむしろ少ない方なんでしょうね。最近は昔集めた曲を聞くばかりで、新しい音楽を開拓しようとしないので、なんだかなあ、と。

 

 *

 

音楽は昔から好きで、人生で最初に好きになった曲もT-SQUAREのTRUTHでした。父がF-1好きで、OPの曲を子供心にカッコいい!と思った記憶があります。次に好きになったのは、母から教えてもらったチャック・マンジョーネのFEELS SO GOOD。

ここのブログはすこし前まで「今日も今日とてやきそばカレー」なんてふざけた名前だったのだけど、ずっと昔からブログの名前はチャック・マンジョーネの曲から取っていたので、こうして戻した次第です。

チャック・マンジョーネは日本ではあまり有名じゃない気もするけど、アメリカだと結構有名なんじゃないかと思います。グラミー賞も取ってるし。フリューゲル・ホルン奏者で、わたしが高校の吹部でホルンを選んだのもこの人の影響だったり。まあフリューゲル・ホルンはトランペットに近い楽器なので、名前だけ拝借したようなものですね。部室の楽譜を漁っていて「サンチェスの子供たち」を見つけたときには、得も言われぬ感動がありました。吹奏楽アレンジはあまり好みではなかったけれど……。

 

母がヤマハのピアノ講師をやっていて音楽に精通していたので、自分の音楽の趣味は母由来のものが多いです。ジャズ・フュージョンに加えて、クラシックならバッハ、ショパンシューマン……。オーケストラはあまり聞かないかな。一番よく聞くのはグレン・グールドのリトル・バッハ・ブック。

やっぱり安定のバッハ。閉じた世界の美しい独り言。彼は音楽で「話している」んですよね。イギリス組曲第3番が好きです。ピアノを習う人ならまず絶対通るのではないでしょうか。全音ピアノライブラリーの渋い装丁とバッハの楽譜はなんとも大人びていて……、ピアノの練習はあまり好きではなかったけど、それでもバッハやショパンを弾くのは楽しかったです。

そういえば、昔上京したばかりの頃は無伴奏チェロ組曲をよく聞いたけど、今はなんだか聞けないですね。どうにも苦しくって。チェロの音と閉じた世界が相まって、自分の自閉的性質を強めていく感覚があるからかもしれません。無伴奏チェロ組曲を聞けるようになることは、ある種の目標、ですね。あれをもう一度聞けるようになった自分は、きっともう大丈夫だろうから。

 

あとは声楽なんかも好きです。ホセ・カレーラス。こういうの聞いちゃうと、やっぱり男性の方が女性より楽器として優れていると思ってしまいますね。倍音とやらが多いのかしら。……ちなみに苦手な音はバイオリンです。弦楽器ならチェロとか、あそこまで低い方が落ちつく感じがします。バイオリンはどうにも女性の黄色い悲鳴を彷彿とさせて、なかなか厳しいものがある。他の楽器と一緒になって馴染んでるならいいんですけど……。

 

 * * *

 

例によってくたびれたし満足したのでここまで。
とにかくとにかく、音楽が好きです。

セルフケアのはなし

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今日はですます調にしましょう。セルフケアの話。

 

 * * *

 

また昔話をします。高校時代に通っていた病院で、臨床心理士の人がセルフケアというものについて語っていた言葉があるのです。前後の文脈はともかくとして、彼女はこう言っていました。

「自分のケアをしたという事実が大事なんです」と。

さて……、ここからはすこし自信を持って一般論として語らせてもらうけど、セルフケアというのは、案外存外、大事です。それは自分を大切にする行為であり、行動そのものが医学的には(あるいは物理的には)体に作用していなかったとしても、自分を自分でケアしたという事実によって人は元気になれたりするのです。

 

自分の体調や環境に関してなにか問題を見出していたとして、それに対処しないというのは……極端な話、自傷行為に近いわけです(自傷行為という言葉を使うとずいぶん派手に聞こえるし、わたしも好きでないけれど)。自分をないがしろにすることはそのまま自分の価値を下げることにつながります。自尊心の低下、魂を毀損する行為だと言える。

ただ、どうしたってそういうものに浸りたい瞬間があります。そもそもの話、セルフケアが自分を大切にする行為なら、自分を大切だと思っていない人間にはどうしたってできない側面がある。セルフケアはちゃんとやれば好循環を生むし、やらなければ悪循環になる。しかしこの悪循環から好循環への切り替えというのは大変に難しく、それこそ人間の意志ひとつでどうにかなる問題でもない。

マイナスを0にほど近いところまでまで持っていく、あるいはプラスをさらにプラスにするのは意外にそこまでのエネルギーを要さないのだけれど、0を越える瞬間というのはものすごいパワーが要ります。ビッグバンみたいなものですね(?)

 

結局のところ、自分でどうにかできる問題ではない、と思うのです。もちろん最後の最後には意志を行使して状態を変化させるわけだけど、一足飛びにそこに到るというのは、やはり無理なようで……。

時間が解決する、と言ってもいいかもしれませんね。悪循環に悪循環を重ねることは大変にしんどいけれど、その人にとって必要なエネルギーが溜まってしまえば、あとはドン!と移行できてしまえたりする。その瞬間を待つほかない。エネルギーの属性がマイナスだったとしても、それはやっぱりエネルギーに違いないので、有効に活用することができます。

0を跨いだあとには、冷静に「あれは自分に必要な時間だったんだ」と振り返ることさえできてしまったりする。人間はなんともテキトーで都合よくできていますね。なんとも喜ばしいというか、まあ馬鹿でよかった、というか。

 

 *

 

多分だけどプラセボ効果とかもそういう側面が大いにあって、つまり、自分は問題に向き合い対処したという事実が、人を元気づけていると思うのです。対処するにはコストが必要で、これはお金と時間と手間と言い換えることができます。

自分のためにお金を払い、時間を使い、手間をかければ……、人間はものすごく安心して、充足した気持ちになれるんですよね。逆に言えば、お金をケチって自分のための時間を確保せず、何もしなければ、ただひたすらによくならない。

 

しかし、お金と時間と手間を自分に使うと言うのは、時代のせいでしょうか、どんどん難しくなっている気がします。多少の無理をしてでも自分のために何かを消費するのは、間違いなく大事だけれど、経済的に(あるいは他の理由で)難しい場合もきっとあるでしょう。それが本人の思い込みであることも多々ありますが……。

心の余裕がほんとうに無いときには、自分が何を好きだったのかさえ忘れてしまう。何をすると気分が楽になっていたか、そういう過去の記憶さえ思い出せなくなる。わたしも実際、ここのところそういう状態だったんだけど。

元気だったころの自分がしていたことというのを、丁寧に思い出して実行するのは、大変なことです。頭でわかっていても心も体も動いてくれない場合が多いし。

 

 * * *

 

さて、すこし疲れたのでこの辺で。
洗濯も終わったみたいだし、現実世界のことを片付けましょうか。

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忘れるべきこと/努力の痕跡

今日も自分のために言葉を書きます。

 

 * * *

 

忘れちゃいけない、は忘れる人のために用意された言葉であって、憶えていられる人には適用しちゃいけないのだと思う。それでも忘れるのは怖い。忘れる前は恐ろしいのに、忘れた後には安堵がある。安心できる。まるで死のようだ。
該当する脳の領域を開放できるのだから、処理能力も上がる。脳疲労も軽くなるだろう……。

 

ずっと分かっていることではあるのだ。わかってはいるが、しかし、わたしは忘れるのが怖い。意識の濃度が濃いからだろうか。父もまた、記憶に関して「ケチ」だと母が言っていた。憶えたことは忘れたくないのである。ただ父は記憶の選別はうまいようで、わたしほどの疲労感はないようだし、むしろタフである。

わたしは全部を大事にしたくて、もちろんそれが全部を大事にできないことにつながると頭では分かっていながらも……それでもやっぱり怖いのだ。情報を取捨選択すること。本当は何が大事かなんて、とても簡単に決めてしまえるのに、あえて見過ごしているのだ。

たとえば本棚にある漫画の中で今の自分にとって大事なものは、と問えば、ちゃんと分かっているのだ。忘れることは大事にしないこと、なのだろうか。完全に忘れることなんてないだろうと思うのに、わたしは自分がちゃんと記憶できていることを常に確認できる状態であってほしいと願っている。

 

間違っていると思う。絶対にこれは違うのだ。

 

すこし前に、満島ひかりさんが朝の情報番組に出演しているのを偶然見かけた。そのとき彼女は日記について話していた。彼女は日記を書く。書きはするのだが……、1年ごとだったか、とにかくそれを捨ててしまうというのだ。
すごいと思った。それは間違いなく何かの解決法なのだと確信が持てて、わたしも捨てたいし忘れたいと思った。

過去の日記や写真は、自分が何をしてきたのか明確にしてくれる。つまり、努力の跡をしっかり保存しておける、ということになる。それらを見返す度に、自分は頑張ったのだと再確認できる。だから必死に日常の写真を撮り、日記を書く。それは他ならぬ自分のためで、それらを見ないと頑張り努力した事実を思い出せない気がするから、わたしは撮り、書く。

他の人の事情は知らないが、少なくともわたしの場合はそうなのだ。

 

しかし、情報を持ち続けるというのは思った以上に苦しいことで……、記憶(記録)を諦められないというのは、人そのものをひどく疲弊させるのだと思う。実際わたしはひどく疲弊している。「今」大事なものだけ残して、ちゃんと忘れて捨てたいと願っている。……

なぜ記憶に、記録に固執し続けるのか考えてみると、これはすごく簡単で、要は自信がないからだ。努力の痕跡を何度も確認して、自分は努力してきたんだ、だから大丈夫、だいじょうぶ……と安心したいのだ。

 

けれど、……
わたしは努力して今の自分になったわけで、じゃあそれだけでいいじゃないか、と本当は思う。スモールハートのこともしっかり確認できて、つまり「わたしは悪くなかった」がそれなりに明確になった。わたしは学校も仕事も、嫌いじゃない。やれるものならやりたいと思ってきたし、今も思っている。

……しかし、それが叶わない。叶わなかったという事実は十分に残されている。わたしは本当に長い間、努力をすれば学校に行けて、仕事もできるのだと考えて、ずっとずっと努力をしてきたつもりだ。実際にたくさんのことが改善された。しかし、それでも及ばないのだ。とても悔しい。


母さんは、今回のCFSの診断をとても好意的に考えていた。だってあなたのせいじゃないって、わかったじゃない。これからはそんなに頑張らないで気楽に過ごせるかもよ、と。わたしはそのとき、母さんがそう言うんならそうなんだろうね、と返した。母さんはいつも正しかった……。わたしは……

 

悪くなかったのだろうか?

当然、悪くないだろう。頭では理解できるのだ。どちらにしても努力は必要だった。努力しなきゃと思って努力し続けたから、本来かかる時間をかなり圧縮できているとも思う。頑張ったはずだ……。わたしは結局当事者でしかないから、その判定が難しい。ただ、自分が変化してきていることは理解している。ちゃんと考えれば過去よりもずいぶん、何もかもがよくなっていると理解できる。

しかし心ではわからない。わたしは大丈夫だろうか。まだ確信できない。人間的にOK、GOサインを出せると思う今だから、このように悩んでいるのだろう、と、それも理解できるのだが……。


ただ、過去のたくさんの努力の跡を、ちゃんと忘れてやりたいと……願い始めたのは、きっととてもよいこと、なのだろう……。

2018年の残滓

今日、何年振りかに昔の主治医と会った。

 

 * * *

 

昨年は、あるいはもう少しで昨年度となる年は、とにかくつらい年だった。
正直つらいと白状してしまうのがためらわれる程度には、つらい年だった。しかしまあ、とりあえず、今日昔の主治医と話をして現在の自分を見てもらって、あの先生が顔をほころばせたとき、わたしは自分の人間的基礎を8割がた完成させることができたと、心底思えたのだった。

 

ここ2年くらいのわたしのテーマはどう考えても情動のコントロールで、自身に衝撃をもらたす様々な事件(人間関係をおおいに含む)を通して何度も自分の恐ろしさ、特に怒りの恐ろしさを知って、それを何とかしようと試みてきた。感情を適切に処理するのはとにかく難しく、頭の何割か、つまり情動を司るであろう脳のエリアを無意識的に「ここは使ってはいけないエリア」と定義した上で、そのあり余るエネルギーを理性的にコントロールできないか試していた……はずだ。
それができない限り、人間的にGO、あるいはOKを出すわけにはいかなかった。

 

昨年秋ぐらいからぽつぽつとわたしにOKを示してくれている人は現れていて、目標がおおよそ達成されたらしいことをどことなく知りながらも、まだそれを自分で認めるには至らなかった。書類に必要な、最後の最後に押す巨大で権威的な印鑑を欲していたのかもしれない。しかし医者というのは見かけだけの権威で、結局は一個人としてお互いに接しているのだから、ずいぶんと優しい印鑑もあったものだな、と思う。
……表現がまとまらない。とにかくあの先生のああいう表情は見たことがなかったので、こういう風に理屈で説明するよりも前に、あの朗らかな顔を見た瞬間、ああ、OKなのか、ということになった。

 

 *

 

わたしの怒りはいつも昔から父さんがらみで最大限に引き出されていたから、この障害者年金・手帳の件の苦々しさを客観的に語ることができるというのは、とにかく人間的に成長した証だと思うのだ。この件に関して、わたしは当事者であるにも関わらず……本当に多くのことを知らなくて、病院では「ほんとうに自分でも情けないと思うんですけど……」を連呼する羽目になった。


父さんはいつだって強くて、それゆえにわたしは守られていて。守られるだけの理由はわかっていながら、同時にわたしを弱くさせる彼の過保護さというのは……正直なところ、恐ろしかった。
それでも毒親とは決して言うまい。あれは相性、つまり運の要素が多分に含まれるし、そんな言葉で片付けられるほど事態は簡単でないと思うのだ。瞬間的に自分を守るために使うのは、正しいかもしれないが……。
まあとにかく、毒親とは決して言わない。言わないけれど、大変だった。ただ、わたしも線を引かれた「あちら側」の人間ではあったから、どうしても心底嫌う気にもなれなくて……。
父さんの語る法律の世界と科学の世界は魅力的だった。間違いなく、そこいらの学校の先生より、ずっとわかりやすく面白い説明ができる人だ。彼の能力は家族の誰もが知るところだった。だから、怖かった。彼に似ている自分のことも、怖かった。あのまっすぐで力強い何かのかけらが埋め込まれていることは、どうしたって明らかだったから。

 

 *

 

今日、正確に言うなら昨日、苦しかった2018年をやっと終わらせてやってもいいという最後のサインが出された気がする。まあ相も変わらずわたしはここに色々書くだろうけど、今この瞬間はそういう気分だ。年が明けたあともそこかしこに漂っていた2018という年の残滓は、いずれ薄れていくように思える。4月になれば年度も変わって、いよいよこの数字ともおさらばだ。平成が終わるらしい。らしいと書くのは、ここのところ上記のような何かに精一杯で、社会を観察する余裕がなかったからだ。
たくさんのものが瓦解していく。それは何もわたしに限ったことじゃないようだ。

 

どこかの誰かが言った「日本は山羊座の国だ」という一言が、なんとなく思い出された。

自分への励ましメモ、ASDとCFS

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手帳だか年金だかのために、昔お世話になった病院各所を回っている。それで今は富山にいるんだけど。

友人の親が慢性疲労症候群の専門医をやっていて、4年ぶりだかに診察してもらった。医者はみんな違うことを言うなあ、と思う。ASDとしてわたしを診断した病院は「30歳頃にはなんとかなりますよ〜」と言い、こちらでは「普通にお仕事をするのは無理ですね。主婦か、よくてパートでしょう」みたいな感じ。前者に関しては「なんとかなる」があまりにも曖昧な表現なので全くなにを指しているのかわからないけれど……、とりあえずは希望的観測をしてくれているようである。

 

4年前に慢性疲労症候群(略称CFS)だと診断されたときには、その診断名を受け入れられなかった。そのときは今よりももっとずっと具合が悪く、気持ちの整理をするだけの余裕もなかった。先生は、あなたは鬱にもASD(自閉症スペクトラム障害)にも見えないと言ってくれたけど、ASDを前提として人生を頑張っていたまさにその頃に、ASDには見えないなんて言葉を言われた日には……、とにかく拒絶するしかなかったのだ。今よりもずっと混乱はひどく、脳は疲れ切っていた。

今回診断を受けて、また改めてCFSだ、ASDや鬱には見えない、と言われた。まあ鬱はわたしもそれなりに確信を持って違うと言えるのだけど、ASDを全面的に否定するのは流石におかしいんじゃないかとは、正直、思う。

 

わたしの心臓は普通の人より15%ぐらいは小さいらしい。それでもって、エネルギーを使う頭を遺伝している……はずなので、脳疲労が起きやすいのだと思う。なんとなく筋の通る感じに説明するならば、スモールハートによる循環血液量の不足と脳血流の減少、それによって引き起こされる慢性的な疲労……とでも言えばいいのだろうか。いくらか略したけど。

少なくともメリットとして、人に説明しやすいというのはある気がする。心臓が小さいから疲れやすいというのは直感的に理解しやすい。

結局今回スモールハートへの対策として、脈を遅くする薬(ビソプロロール)と抗利尿ホルモン用剤(ミニリンメルト)を飲むことになった。後者は治験という扱いで、同意書も書かされた。

 

 * * *

 

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わたしは分からない。あまりにも怖くて、普通の人がどれくらい体が動くのかとか、そういうことについて考えるのは、数年前にやめてしまった。何故もっと体が、頭が動いてくれないのかと考え始めると、日常生活に支障を来すくらいに、ひどく憂鬱な気分になる。だから、記憶と感情に綺麗に蓋をして密閉して、陽が当たらず、そうそう見つけられないところにしまい込んだのだった。

以前帰省したときに、同じ診断名を持つ幼馴染と話をした。「自分たちはもっとできたはずだよね」「ちゃんと自分の能力を出し切りたかったよね」という後悔を、さらっと流すように、二人で話した。でもこれが現実で、自分に何かをできる可能性があると心のどこかで感じ取れても、実際には体も頭も動いてはくれなかった。それは、本当にもう今更なことなのだった。

 

CFSの先生の口から生活保護という単語が出たときには流石にドキリとして、昔から覚悟しているとはいえ、実際に耳にするとしんどいものだな、と思った。でもやっぱり、そういう実感は湧かないのだ。頭で理解しても心にすんなり入ってこない。わたしは何なんだろう、という疑問だけが降り積もっていく。

 

ただ、まあ……、診断名を全面的に信じようとは思っていない。何を言われても今日も明日も、できることを探してやるだけなのだと思う。ASDだとしてもCFSだとしても……実際にはその両方なんだろうけど、とにかく改善することはできる。そうやってわたしはここまで来たのだから。確かにたくさんのことを諦めはしたけど、人生そのものを、未来の可能性を諦める必要はないのだと思うし、実際にそうする。期待はしないで希望は持つ。

 

……それでも、たまにどうしても、一瞬怖くて悲しくなるのだ。わたしは一体どうなるんだろう、と。でもやっぱり諦めたくない。わたしは生きる方法をなんとか見つけ出して、そこそこ平和に笑って過ごすのだ。それはたぶん夢なんだと思う。

なるようにしかならないし、運とかタイミングとか、色々ある。わたしの体は(いろんな気持ちが邪魔をしなければ)昔より動いてくれる。頭は……自信はないけれど、ある程度の情報量に耐えてくれるようにはなってきていると思う。

 

頑張るなと言われても、結局頑張るしかないのだと思う。とりあえずしばらく別の観点で、つまりCFSの対策をやってみようと思うけど……、なんというか、わたしは4年前にその名前を拒絶したから、無理に無理を重ねられたと思うのだ。

今のわたしをわたしは嫌いじゃない。CFSを、先天的疾患とも言える何かを受け入れてしまっていたら、ここまで頑張れなかったような気がするのだ。だからこれでいい。人生万事塞翁が馬、だ。

 

期待はしない。具体的な何かを想像して裏切られるのはもう幾度となくやったので、できる限り淡々と、努めて冷静に、日々を過ごす。笑えるときには笑っておく。笑えることは結構思ったより、日常にたくさんあるのだ。

どこか弱者めいたところが自分にあったとしても、心まで弱者になってしまってはいけない。だいたい、わたしが持っていて誰かが持っていないものもたくさんあるだろう。その逆も然り。誰かを、あるいは自分を不必要に可哀想がるというのは性に合わない。いつも、人はみんな強者であり弱者である、と思う。それはどの側面に光を当てるかでいくらでも変わるし、自分を見たい自分で見ることはいつだって可能なのだ。

 

まあ、とにかくとにかく、また頑張ろう。こうやって自分を励ましていれば、なんとか生きていけるのだから。

1年のテーマとその風景

直感の世界の話。誕生日だけれど、だからこそ自分らしい言葉を残しておきます。

 

 * * *

 

2017年、頭の中で聞こえ続けた言葉は「寄る辺がない」だった。上京以来お世話になっていた病院が突然閉院し、物も人間関係も壊れ、やたらと気持ちの良い青空の下を歩きながら、空っぽになった頭で、寄る辺がない、寄る辺がない……と繰り返した。薄眼を開けて太陽を仰ぎ見ては、ずるずると長い影を背負った。白く照らされた道には不規則に左右にゆれる足跡が残され、さらにその上を、真っ直ぐに黒が貫いていた。

富山で待ってくれていた可愛い愛犬もインコたちもみんないなくなり、ああついに、何かが変わる、変わり始めるのだな、と。それはある種の宣告だったのだと思う。

愛犬はわたしの不登校をきっかけにやってきた子だったから、彼女がいなくなることは何かものすごく象徴めいていて……、彼女の死そのものと、彼女の死が何を意味しているか考え感じたとき、本当にひどく陰鬱な気持ちになった。

同時に、蛮勇とでもいうような迫力ある何かが胸の内に沸いてきていた。着手しなければならない。目の前に立ちふさがっている、まだわからない何かを始めなきゃいけない。そんな直感が、その後数ヶ月にわたって、体をギリギリまで動かしてくれた。

 

 *


2018年に繰り返された言葉は、「役に立たない」だった。自分の無力さを思い知った。一人の力の限界を実感した。本当に、どうにもこうにもならなかったのだ。1年間ひたすらに白い茫漠とした地面を歩いて、そうして気づいたら、今度は水の底にいた。50メートルのプールからそのまま水だけ取り出して、立たせてみたらこんな風になるだろう、というような、無機質な水のかたまり。この底の方、深さ47mほどのところで、また1年間漂い続けた。


昨年、この手も足も出ない無力感に加えて、自分をどうしようもなく苛めたのは……、人と関わる中でわかってしまう自分の生来の気質・性質だった。人との違い。差異。わたしが認めたくない現実が……、つまり、「わたしは何なんだ?」という問いが何度も突きつけられた。

自分自身の定義。果たして本当にそんなものは必要だろうか、と思いつつ、しかしはっきりと、この問題が長らく放置されてきたという痕跡が目の前にあった。わたしが今まで強力に、それこそ死にたいと思うほどの力強さを持って自己否定せずに済んだのは、結局人と関わろうとしなかったからなのだ、と。隣の芝生はたしかに青く、輝いていた。そうして今更、自分の中に根深いコンプレックスを発見してしまったのだ。

 

 *


ただ……、

自己否定もコンプレックスも、今は扱い方を多少心得ていて。だからこのタイミングで剥き出しになっているのだなあ、と冷静に観察している自分もまた、確実にいるのだった。

この物事の経過、順番はわたしが無意識に呼び寄せたもので、わたしは自分が耐えられるようになったタイミングで何かを課しているのだ、と心の奥底で納得した。

わたしは望んで白日の下に晒され、そして水底に沈んでいたのだ。決して誰かに置いていかれたとか、誰かに沈められたとかではなかった。それは分かっている。それを「望んで」と表現するのはあまりに自分に厳しいと言わざるを得ないが、それでも、そこでそうしていたのは自分自身の意志だったと思っている。

そして、そこには幸せな時間もたしかにあったのだ。わたしが基本的に仄暗いところに心の中心を置いているだけで、わたしは灯りも、灯りがもたらす安堵もまた、知っているのだから。……


こうして振り返ってみると、わたしは前年の風景、わたしの抱える問題の心象風景を、その翌年に一応は解決してきている……ような気がする。それならば、2019年は自身の無力を、役に立たなさを解決することになるのだろう。近いうちに水から上がって、また別の場所に行くのだと思う。そしてきっとまた、別の言葉が聞こえ、別の風景と対峙することになる。それが今度は2020年に解決される。

 

1年あれば人は何かを変えられるのだ。それもまた、27年生きてきて学んだことの一つなのだった。

2018年を振り返って

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さて、2018年は……まあ色々ありましたね。我ながらよく頑張ったと思います。今までも頑張っていたけど、そうですね、今年は全く質が異なる闘いでした。未知に対する不安と葛藤。何を選び、何を大切にして、どう責任を果たすのか。そんなことをずっと考えながらも……、欲しいものの幾ばくかは、手に入ったのだと思います。

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年明けは割に賑やかな感じで始まって、友達の家にゲームしに行ったり、富山の有名なフラワーアーティストさんのところでリースつくったりとか、していた気がします。久しぶりにホルンの手入れをして、マリエ富山1階のパン屋さんで、おやつパンとカフェオレを注文して、イスラーム世界理解の勉強をしました。

この勉強は結構楽しかったんですよね。馴染みのない言葉と宗教と、それらによって構成されるシステムと、そのシステムによって回る世界。こういったことを知るのは純粋に楽しいと感じます。まったく違う秩序の中で生きている人たちがいるというのは、本当に不思議で……。

自明を疑うというのは社会学の基本姿勢の一つだと思うのですが、バラバラに現実から切り離された実態を持たない単語を学んでそれを行うよりかは、直接に異文化に触れ、自分が属する文化との差異について考えることの方が、なんとなくよい気がします。なんとなーく……。見て聞いて喋って食べて、その世界の一部として過ごしてみる。まあ結局そんなお金も度胸もないのですけれど、楽しそうだなあと思います。

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で、そう。大学3年生の冬休み。まだ大学を卒業するつもりでいたわたしの、結果的には最後になってしまった冬休み。経過についてはここでずっと書いていたと思いますが……、まあとにかく、後期の試験期間に何もかもが停止してしまって、布団の中で呆然としていたら全部終わっていた、みたいな話です。

何か突然プッツリと糸が切れてしまったらしく、その理由も意味も理解できないままに全部が終わりました。集団教育への執着と復讐心、今度こそはという想いは「一応やろうと思えば3年次編入ができる」程度の単位だけ残して、潰えたわけです。

だけ、というのはもちろん極端な表現で……。漫画やら何やらでよく「復讐に意味なんてない!!」と、正義の味方が声高に叫ぶわけですが、自分の場合は、復讐にはちゃんと意味があったと思います。ここで無意味だった……なんて膝から崩れ落ちるわけがない。だって人生はこれからも続くし、むしろここからが大事なのだから。

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1月の終わりに富山に帰って、そのときには……なぜか絵ばかり描いていました。年末年始に父の仕事のパンフに掲載する図をつくっていて、そのときにスマホを使って短時間でサクッと絵を描く技術というのを考案したので、現実から逃げるように絵ばかり描いていました。でも描いてる瞬間の自分はずいぶんと楽しげだったような……。

アナログでペン画を描き、Adobe Captureを使ってデジタル線画にして、ibisPaint Xで着色する。これならどこでもできるし、本当に便利で楽しいです。視野が狭くてディスプレイに強く惹かれるASDの特徴も活かせる、と……。指で感覚的に操作できるのも、とてもいいです。拡大縮小、線画の回転も思うがまま!科学技術の発達も悪いものではないですね。今数えたら、今年描いたデジタルイラストは122枚でした。簡単なものばかりなんだけどね。

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以下は簡単な1年のまとめです。

 

1月
横浜散策、うまるちゃん展、富山帰省、市ヶ谷フィッシュセンター

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2月
富山県美術館、コナンMX4D、某クッキングスタジオでバイト(しようとしてすぐに挫折)、オフ会、品川やきいもテラス、NHK WORLD presents「J-MELO Rocks 2018」

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3月
3331アートフェア、ホリミネラロジーさんのミネラルコレクティング、ポケモンセンター トウキョーDX、硝子結晶育成キット、目黒川のお花見、大学退学

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4月
坂本真綾ちゃんのコンサート「ALL CLEAR」、C#の勉強、喫茶ローヤル

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5月
C#の勉強、リズと青い鳥、金魚坂一眼撮影、五月祭、リトープス購入、富山帰省

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6月
写真新世紀に応募……しようとして挫折、FOSTEX PM0.3H購入、喫茶さぼうる、排気口「謎は解くからだを休めることなく」、十条冨士神社大祭、デジタルハリウッド大学公開講座

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7月
セーラー万年筆購入、友人からのイラスト依頼、ファイヤーキング購入、台湾フェスタ、隅田川花火大会

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8月
はらぺこあおむしカフェ、不動産バイト開始、富山帰省、魚津の絵をアナログで描き始める

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9月
バイト継続、カメラを止めるな!、友人の結婚式、魚津の絵進める

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10月
バイト辞める、ボンディと文房堂といちのいち、学士会館で見知らぬ人とお茶、オフ会、友人の訃報……、天空橋羽田空港、UPROSAのiPhoneケース購入、魚津の絵の完成?と額縁購入・出品準備、NHK新人落語大賞観覧、昭和記念公園でコスモス撮影、立川で見知らぬおじちゃんとご飯

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11月
新宿御苑で昼寝、勢いでオーディション応募(落ちた)、富山帰省、くまもとのくま購入、有楽町一眼撮影、ウェッジウッドのジャパニーズティーカップ購入、魚津の絵出品挫折、文フリ、淺井裕介さんの泥絵お手伝い、キャリアカウンセラーさんと面談、阿佐ヶ谷神明宮新嘗祭

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12月
ミネラルショー、喫茶ロゼ、ジークレフ、単発バイト×2、オフ会

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10月11月が精神的に大ダメージな出来事が多くて、だいぶ自意識がアレな感じになっておりました。ここのところようやっと復活しつつあるような……。鐙子ちゃんの死は本当につらかったですけど、でも、ずっと、彼女が色んなことに対して背中を押してくれているのを感じます。つまり、すごく力強く「幸せになってね!!!!」と言われてしまったというか。彼女の遺品も最期の手紙も、今も机の上にあります。わたしに最高に効く言葉を彼女は持っていて、それをきちんと手渡してくれました。だから、約束は果たさないと。

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大学在学中、わたしがずっと思っていたこと。
絵を描きたい。写真を撮りたい。文章を書きたい。大学に行っていたら、体力も気持ちも全部持ってかれてしまう。勉強は嫌いではないけど、天気のいい日に、四角くて白い無機質な部屋に、たくさんの人と閉じ込められる理由がわからない。テキストを読むより実際に世界を見た方がもっとたくさんのことがわかる。もっと大事なことがわかる。

やりたいことをちゃんとやりたい。やりたいことをやれないのを、大学のせいにしたくない。やりたいことも行きたいところもたくさんある。人ともっと関わりたい。今を逃したらとてもまずい気がする。人とまともに関わらないままに30歳を迎えることは、大学退学よりもずっと危険なことのように思える。死にたくないし、生きたい。できれば東京で。自分の力で稼げるようになって、大切な人とものを守れるようになりたい。誰かが……昔の自分のような誰かが苦しんでいるとき、気軽に肩を叩いて食事に誘って、美味しいもののひとつでも奢れるような人間になりたい。
自分は間違いなく庇護されてようやく生きている。そのことに申し訳なさを感じる必要はないけれど、守ってくれた人とものとシステム……ひいては社会に、ちゃんとお返しをしたい。誰かの役に立ちたい。……

 

その一部はきちんと叶ったのだと思います。あるいは、叶うための布石はたしかに置かれているはずです。今蒔いている未来への種のどれが、どのような形で芽吹き、成長するのか。自分のことだから当然苦しいし大変だけど、それでも楽しみにしていようと思います。期待はしないけど、希望はあるはずですから。