読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今日も今日とてやきそばカレー

やきそばとカレーがすきです

多様性について思うこと

多様性を認めるということは、本来きちんと筋を通すなら「多様性を認めない人」も認めなければならない。でも多様性を全てにおいて認めるということになると、人は主張できるものがなくなってしまう。つまり「多様性を認めろ」.という主張そのものが多様性を認めていないことになる。これは個人的には論理的に大きな穴となっていると思うし、実際リベラルな人というのは保守に比べてディベートで弱いと聞いたことがある。

わたしは筋を通すのが好きだから(?)、やっぱり多様性を支持するからには多様性を認めない人もいていいものだと思っている。自分はASDで世間で言うところの発達障害だけど、そういう人の言動を気持ち悪いと思う人がいることも当然だと思うし、彼らを法律やら何やらで黙らせるのはどうかと思うぐらいだ。積極奇異やカサンドラ症候群といった言葉は好きではないけれど、それもまた健常者側から見た一つの真実なのだから。

 

(ただ、正直行き過ぎたヘイトスピーチはちょっとどうかと思うんだよね。少しは制限した方がいいのかもしれない。表現の自由とぶつかるから難しい問題だよね。今や全世界で自由に個人が発信・受信できる時代だし、やっぱりメディアの質が変わったことに一因があるんだろうなあ。インターネットは今日もカオスです)

 

主張しない人間は、つまるところ傍観者だ。静かに社会を眺めて、積極的に関わらず変革を求めず、現状維持を良しとする。わたし自身割とそういう性格だと思う。なにかと妥協しがち、諦めがち。

まあそれでも社会は変わっていくわけで、人類は進んでいかなきゃいけない。今期アニメの『正解するカド』でも「私は人類に似合うものを知っている。進歩だ」という台詞があったぐらいだし。だからどうせ何もせずとも変わってしまうのなら、せめて良い方向に変わってほしいなあ、なんて思うのです。