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柄谷行人『探求Ⅰ』メモ③

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第2章までだとわたしの疑問が解決されないことがわかった。

 *

本著を読む限りウィトゲンシュタインは言葉は意味を内包しないと言っている。言葉に内的で同一的な意味は無いという立場をとる。ただ、ここまで読んで共同体(言語ゲームと書いてある部分があったし、文中での使われ方としては言語ゲーム=「常識」や「当たり前」や「暗黙の了解」を共有している範囲とも取れる感じがする。この二つはどう考えても矛盾している。常識・当たり前・暗黙の了解は言葉が意味を内包するという立場を取っているように思える。この疑問に対する答えは2章まででは明示されていない。

で。wiki言語ゲームのページ見てみたんですよ。思った以上に短い説明で驚いたけど。誰かがものすご~く情熱をもって長々と書いてるに違いない……!と思ったのに。むしろ敬遠されてるのかな。誰も正しく書ける自信がないとか。

ほいで、合っているかはともかくとしてヒントになりそうな記述がこちら。

また、この言語ゲームそのものもすべてに共通する内包を持たず、親戚関係のように緩い連鎖によって一体化しているにすぎない(家族的類似)。

この「すべてに共通する内包」がいわゆる常識・当たり前・暗黙の了解だと思うんだけど……。『探求Ⅰ』の3章以降で明かされるといいな。一応家に中村昇『ウィトゲンシュタインーネクタイをしない哲学者』があるので暇なときに読んでみようと思います。とても柔らかい文体で、装丁かっこよくていい本です。

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哲学書とかひたすら柔らかい言葉で書いてほしいなあ、というのが個人的な希望です。『探求Ⅰ』の話は結局わたしたちが理解しあえてるなんて幻想だよ~~というところだと思うんだけど、だったら君たち(哲学者勢?)はせめて伝わりやすい言葉で書けよ!齟齬が発生しないようにがんばれよ!と一瞬突っ込んでしまいまする。ごめんなさい。でもこの本そのものはわかりやすい気はします。

人に何かを伝えるときは、相手の属する言語ゲームをある程度察して、相手に合わせて話すのがよいと思うのです。なんかそんな仏さまもいた気がするし。