人とモノのコミュニケーションのちがい

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なんかめっちゃ更新空いちゃいましたねー。

というのも、ここ数か月は怒涛の数の予定こなしてたので、ブログ書く余裕なかったのですよ……。

 

めずらしく人と接する機会がとても多くて。NHK WORLD presents SONGS OF TOKYO、ゲーム会社の交流会、行きつけの美容院と病院が変わったり。例のはじめての長期バイトもあるし。ゼミの発表もやったし。

 

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にんげんとの交流というのはものすごく心を消費します。なんでかっていうと、人と人との交流は不合理でできているからです。

すなわち、認識方法や思考パターン、育った環境とかによって話す言葉もその意味もちがってくるからです。

 

人はみんなちがう言語体系を持っていて、同じ言葉をつかっても、じぶんが込めた意味の100%が届くことは決してありません。届いてるとおもうのはざんねんながら錯覚です。ほんとうに、ざんねんなことに。

 

そうすると。人に対して心や気持ちを消費するタイプの人は、ものすごい勢いで摩耗していくことになります。

ほとんどの人が60%の気持ちをほかの人に割くのに対して、つねに120%フルスロットルな人というのが存在します。

 

そう、疲れやすいあなたです。そして、わたし。

 

これはとても不毛なコミュニケーションです。相手と自分の熱量がつりあわないと不合理をかんじますし、どこかで

「もうすこしお気持ち返してくれや! 」

 とか思っちゃったりします。わたしだけかな……?

 

しかしながら。

「(お気持ち)釣り合ってない……」

という人に対する落胆は、これはとても一方的で、かつ暴力的なものです。

 

人はみんなちがう言語体系を持ち、そしてコミュニケーション方法も異なるのです。
相手の60%はほんとうに60%かもしれないし、もしかしたら300%の可能性もあるのです。

 

コミュニケーション方法のちがいのために相手の300%のうち60%しか伝わっていない可能性を、考慮しなければなりません。これは程度の差はあれ、けっこうよくあることです。

 

お気持ち開放民はそこのところ謙虚にならないと、やっぱり人が離れていったりします。

 

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人で感じる不合理・ストレスはモノがいやしてくれるので、ここのところは創作みたいなことも多かったですね。写真とったり、絵かいたり、歌うたったり。

 

モノはねー。いいんですよ。
時間と手間をかけたぶん、確実に情報をかえしてくれる。たとえばティッシュ箱を1分ながめたら1分ぶんの情報が確実にかえってくるわけです。10分ながめたら10分ぶん、確実にかえってきます。おもさとか、さわり心地とか、書いてある文字とか。デザインとか。

 

顕微鏡(手間)をつかって観察すれば、ふだん見えない「繊維」という手間に見合った情報をかえしてくれます。

 

そういうところだいすきです。

 

モノはしずかです。
わたしが見つめれば見つめかえしてくれるけど自発的に訴えてくることはありません。

 

(コミュニケーションの道具として人につかわれてるモノは、訴えかけてくるようにみえますが、あれは後ろにいるにんげんが訴えかけてきているだけです)

 

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人とのコミュニケーションはちがいを楽しむこと。モノとのコミュニケーションはじぶんを楽しむことです。あるいは、モノを通して後ろにひかえている人を、しずかに楽しむことです。

 

生のにんげんは疲れやすいけど、思いがけずお気持ちがかえってきたときに、ものすごいカタルシスを得ることができます。

 

おしまい。おなかへった……