今日も今日とてやきそばカレー

たのしければよいのだ

解禁

これが2017年最後の記事になりますね。

 

前々回。自分が今死んだら、誰もわたしの頭の中で考えていることを知らないままになってしまうんだな、というような内容のことを書きました。

 

だから話すことにしたのです。ここまでの人生幸か不幸か、考える時間は山ほどありました。腐るほど時間があって、でも誰にも伝えられずに頭の中で実際に腐っていった「なにか」。わたしが話さなければ、話さないまま死んでしまえば、本当に誰にも知られずに終わってしまうのです。頭の中で腐っていったことさえ、きっと知られることはないのです。

 

わたしは一生懸命生きてるし全然死ぬ気もないけれど、それでも死がそこらへんに転がっていると日々実感して生きています。わたしだけでなく、誰でもそうです。いつ死ぬかなんてわからない。

 

わたしが死んだあとに何も残らないとは決して言いませんが、それでも人より残せるものが少ないように思えてしまいます。学校に行かず人とつながらない生活はある種とても平和でしたが、今はそれが怖くてたまりません。

歴史というものは観測する他者がいてはじめて成立するものです。観測されるためには頭の中のものを表に出さなければなりません。表とは、すなわち社会です。人とつながらなくてはなりません。

 

自分でもなぜ死んだあとに何かを残したいと思ってしまうのか、よくわかりません。生きた証を残したいのかな。社会との関わりが希薄だからこんなことを思うのかもしれませんね。

 

わたしは確かに存在して、こんな人間でこんな人生でこんなこと考えて感じてて……。そういった全てをどこかに残しておきたいです。デジタルにもアナログにも、人の心の中にも。

 

そんなかんじです。

ではでは、みなさん良いお年を!