今日も今日とてやきそばカレー

たのしければよいのだ

競争原理の中にいる自分は

とてもいじわるだ。どうやって論理で人を殴ろうかとか、そんなことばかり考えている。クズだ。

 

流石にドのつくほどのクズだとは言わないけれど、それでもいじわるな人間のことは、多少、わかってしまう。競争の真っ只中ではわたしは確かにクズだけど、それを自分でよく知っていて、それを誰よりも嫌っているからこそ、競争から降りたいのだ。

 

競争の無い世界にいきたい。行きたいし、生きたい。いじわるが心の底から嫌いなのに、競争に巻き込まれるとついいじわるになってしまう。そんなのは嫌だ。

 

だから降りなくちゃならない。

いじわるな人間になるくらいだったら、社会のレールを降りた方がよっぽどマシだ。獣道には優劣が無いのだから。

 

心穏やかに暮らしたい。

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追記

ちょっと強い言葉を使いすぎました。夜中のなんちゃらというやつだ。わたしは最低なことを考えるのは割と得意だけど、実際に行動するわけじゃないから、クズってのは自分で言いすぎですね。

 

世の中のモノやシステムを見ていて、たまに「あっっこれものすごく頭のいい人がものすごくいじわるにつくったやつだ」って気づく瞬間があります。悪意を感じるものづくり。すごく気が滅入ります。

効率やお金のことを思えばそういう手段も確かに存在します。あとはそれを実行に移すかどうか。頭の中は誰だって自由で何をしたっていいけれど、それを実行に移すか移さないかというのは、大違いなわけです。

 

わたしは競争の中にいると割と巻き込まれがちで、無意識にそっち系のスイッチが入ってしまう。誰だって程度の差はあれそうだと思うんですけど、わたしは自分で自分に耐えられそうにないので、やはり意図的に競争から降りる必要がある。

 

「被害者はいつまでも覚えてる」って言うけれど、自分は被害より加害の方が記憶が残りやすいというか、何度も思い返してあ〜〜〜〜!!ってなります。被害は許せば終わるけど、加害はいつまで経っても終わらない。許された、という実感を持つことができないからです。

 

わたしは人と心がつながりにくいから、水に流す、みたいなのも感覚的にわからなかったりします。それで、こっちがいつまでもやっちまってすみません!すみません!っていう態度でいると、どうも人は嫌がるみたいです。実際卑屈はめんどうなだけですし。

だからここ数年は、どうも水に流せるっぽいぞ、と恐る恐る許し許される真似事みたいなのをしてます。

 

人の心は複雑怪奇であるなあ