FEELS SO GOOD

たのしければよいのだ

書きたかったこと

写真はナシで。

 

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今日……正確な日付でなく、わたしにとっての今日、つまり8月14日は、我ながらとても頑張った日だと思っています。

おかげさまで眠れそうにないしちょっと悲しいけれど、諸々は進みました。家事とか書かなきゃいけない書類とか。日常はほんとうにささやかな雑務でいっぱいで、それらは終わりがありません。そのことに救われる日もあるし、忙殺されて、文字通り心を亡くす日もある。

日常は尊くて、そしてやっぱり、とてもつまらない。それでも日常が生活のベースに存在しないと、安心して過ごすこともできないわけです。

 

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孤独なのは今に始まったことじゃないし、人よりずっと耐えられる方ではあると思う。むしろ人と関わることの方がより強く孤独を感じるから、わたしは人付き合いを避けてきたのだと思う。

自分と他人との間に、とても分厚くてとても透明度の高い、ガラスの壁があるように思える。それはもしかしたらわたしが思う「みんな」の周りにもあるのかもしれない。けれど結局そのことさえ、自分自身の周りの壁のおかげでさっぱりわからないのだ。

 

関わってくれる人がいるのに孤独だとこぼすのは、とても失礼なのではないだろうか、と自分に問いかける。書いてはいけないことのように思える。しかし感情は確かにここにあって、否定できるものでもない。

 

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たまに人から変な言葉をかけられる。ある同級生はわたしに、女の子はかわいければ人生イージーモードだと思ってた、と話した。自虐風自慢とかではなくて。ただ、妙に突き刺さる言葉だった。今でも何度も思い出す。その度に心の、あるいは脳のどこかがとても静かになって活動をやめて、その部分が空白になる。

そういう風に見られているのか、と。

 

先日もバイトで「勿体ない」という言葉を聞いたとき、何かが止まる気配があった。面接は今までで一番リラックスして受けれたし、会社の人は優しくて理解力のありそうな大人だったし、採用もしてもらえて、評価もしてもらえた。

それはそれとして、勿体ない、とは。もちろん怒ってるとかそういうのではなくて、ある種の褒め言葉、社交辞令だともわかっていて、それでも何か思考を止めてしまう強さを持った、ただの一言。

わたし自身が一番強く思っているその一言。

 

わたしは必死で生きていて、まだ生きるので精一杯で、自己実現には程遠く、毎日足掻き続けている。その必死さはきっと誰にもわからないと思う。わたしが誰かの苦労を理解できないように、わたしには誰も知らない血反吐を吐くような何かがある。人間は根本的には、相互理解は不可能なのだ。……定義にもよるけれど。

 

「かわいければなんとかなる」「もったいない」という言葉たちは、そう見られているという事実と、そう見させている自分の存在を強く認識させられる。

褒め言葉を卑屈に受け取りすぎ、だろうか。これは褒め言葉なのだろうか。

本当に一瞬、息が止まるのだけれど。

 

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ずっと引っかかってモヤモヤしていたので、勢いに任せて書いてみました。

 

今年に入ってから深い悲しみに襲われる……悲しみは襲ってくるものではなく、忍び寄っていつのまにか「そこ」にあるものなのですが……ことが多々あって、それで、人間本当に悲しいと、胸じゃなくてお腹に来るんだなあと実感しました。みぞおちのもう少し下のあたり。

以前『凪のあすから』というアニメで「悲しいお腹になる」というフレーズを耳にしたとき、変な言い回しだなあと思ったけれど、あれは本当のことだったんだと今更ながら気づかされました。案外腸内細菌とかが本気で悲しがってるのかもしれませんね。悲しみの腸内フローラ。……腸は第二の脳なんだっけ?

 

どんなに悲しいと言ってみてもやっぱりお腹は減るし、トイレにだって行きたくなるし。そういう動物としてのひどく原始的な事実に何度も何度も救われ続けています。

だから、人間は動物でよかったなあと、本当に心の底から思っているのです。