怒りによって証明される、「正しさ」

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ここ2週間ほど、かなり精神的に参っていました。

大切な友人の死と、果たせなかった約束と、これから果たしたい約束。自分の軽率さと、でも意外に本当に彼女が大好きだったこと、心底悲しめてホッとしたし嬉しかったこと。

とにかくめためたに落ち込んで泣きわめいていつもならしないことをして、もうどうでもいいやーー!と。そんな中話を聞いてくれる人が幾ばくかいて、ああ、これは昔の自分じゃありえなかったなあなんて一瞬冷静に考えたり。たくさん考えてたくさん泣いて、そのあとには落語聴きに行ってたくさん笑ったりもしました。桂三度さん……元世界のナベアツさんの落語、とても楽しかったです。

 

さて、普段はかなり冷静に、メタな視線を常に持ち込んでいかに感情的にならないか工夫してるんですが、とにかく上述したようにここ数週間はそのあたりがぶっ壊れていたようです。結果的にはぶっ壊れてよかったなと思うし、まあ随分取り乱したけど、たくさん我慢してきたしいっか、と。

わたしはいつも落ち込みから回復する最後は「怒り」が来るのですが、それはたぶん精神的に参って心底弱っている自分に対する怒りと、弱っていることで自分と価値観の違う人……保守的な人と言ってもいいかもしれませんが、そういった人たちに「あなたの生き方間違ってるんじゃない? 」と問われてしまうからだと思うのです。

そしてそれを聞いてぐっと言葉を詰まらせて、黙ってしまう自分。怒りは保守的な考えを持つ人びとにではなく、実際のところ頭の中の「こんな生き方していいの? 」と疑問を抱く、冷静沈着なもう一人の自分に向けられている。

要は投影、ですね。わたしの中の保守的で我慢ばかりする自分が、ある瞬間人の形を取って現れて、そこではじめて自分自身に対する怒りを自覚する。

 

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前にも書いたのですが、自分は間違いなく「台風」な人間です。
世の中に台風な人と台風によって回される人がいるなら、自分は前者だろうと思います。そしてそれはきっと、こういう怒りのエネルギーに起因するのだと思う。

自分にとって「怒り」は一番怖い感情です。父も瞬間湯沸かし器と言われていたけど、わたしも間違いなく怒ると手が出るタイプの人間です。実際に一度母を殴ってしまっていて、とにかくそういう自分が怖い。他害する力、エネルギーを持っているということに自分自身で心底恐怖している。

でも今回ようやっと、その怒りもポジティブに使えるんじゃないかと思えました。怒ることで勇気も出るし、怒ることで自分の正しさが証明できるような気がした。わたしは自分の人生、ものごとの選び方が気に入っていて、それを他人に貶されようものならそれこそ他害する勢いで怒れる。もちろん実際に手を上げるとかしちゃいけないしそれはもうやらないのだけれど、でも自分の中の「怒り」のおかげで自分が何が好きで何を選びたいかハッキリする気がします。

 

今年の春退学するときも、やっぱり退学に反対する人のおかげでそれを選べたと思うのです。だから価値観の違う人というのは絶対に必要で、わたしはわたしと違う正しさを持つ人たちのおかげで自分の人生を選べる。

彼らには彼らなりの正しさがあり、わたしが何かもの言うことで、やっぱり怒りや悲しみを抱いているのかもしれない。そういうことは割と避けようとは思っているのだけれど……。しかしまあ、やっぱりどんなにネガティブに見えることでも決して無駄ではないんでしょうね。わたしは怒りによって自分の正当性を確かめられるけど、別の誰かは別の感情や論理によって自らの正しさを確認しているのかもしれない。

 

ただ、それはやっぱり人と関わらないとできないことなのかなあ、と。人との差異、考えや価値観の違いによって自らが確立されるわけです。

 

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とにもかくにも元気になって、また写真撮りたいなあとか古本市行きたいなあとか、宮本承司さんの木版画買いたいなあとか、ニコライ堂のバザー見てボルシチ食べたいなあとか。アクセスフラッシュしたいなあ、とか!欲が戻ってきました。幸せですね。

 

きっとまた落ち込むだろうけど、きっとまた怒って怒って元気になります。
以上!

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