さいきんのこと

そういえば退学から1年が経ちました。

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2月はただただひたすらにゆっくりと(しかし猛烈な目まぐるしさで)過ぎていったけど、3月はずいぶん時間が経つのが早かったように思います。昨日は遠く、明日も遠く。1日経てば体感的には3日経ち、1週間前の出来事は数か月前のように感じられました。それはその日何があったかに関わらず、ただそこに意識があるというだけで、毎日はこんなにも永い。

時間も意識も金属のように叩かれ鍛え上げられて、そうしてとても長く伸びていくのです。これは時間が早いのか、あるいは遅いのか。時間が一定の速度を保っているなら、わたしが世界の時間から外れて何がしか加速しているのかしら、と考えることがあります。人よりも現実の肉体というのは動いていないけれど、意識は活発に肉体を離れて飛びまわってくれます。

なので、やっぱりとても疲れるのです。

 

疲れるとやっぱり、美しいものに触れたくなります。美術手帳や各美術館のtwitterアカウントをフォローして、たまに気になるのがあると、憶えるようにしています。先月は渋谷のBunkamuraのギャラリーでミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギー追悼展を見てきました。彼の描いた「ヴェニスの地図」という作品が見たかったのです。みずみずしい色づかいと、曼荼羅のような引きの構図がなんだかとても綺麗で、そこに彼の想像力で描き加えられた「現実にない何か」がたくさん顕れています。

 

 

緻密でありながら世界が破綻していない、というのがよいのです。2度絵の手伝いに行った淺井裕介さんの絵も、そういう風に感じられます。それは言語的にはトーンの統一だとかまあ色々解説できるのだろうけど、実際に好きな絵を前にしたときには、なんだかそういう分析は無粋だなあと思えます。

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彼が絵を描くのは何故なんだろう、と最近よく考えます。自分でも描いてみているけれど、全くもって苦しい。もちろん苦しいだけではないけれど、絵を描くのが好き!!たのしい!!!!なんて手放しに喜べない、というか。楽しさで言ったら写真を撮る方がよっぽど楽しい。楽しくないのに続けてしまうのは、まあそれはそれで、何かあるのかもしれませんが……。

ここ数日絵を描けていないように感じるので、また続きをやらなきゃなあ、と。なんで「やらなきゃなあ」なのか自分でもさっぱりわからないけど、何か生産してアウトプットしていないとなんだかとても恐ろしいので、苦しいと呟きつつ、やっぱり手は動かしている。

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こんなものは実際には、何の役にも立たないかもしれない。しかし……。

 

 *

 

とりあえず今は、明後日までの長谷川潔展行けるかなあとか、手羽元を大根と一緒に煮てしまいたいなあとか。すこし一人になって、何か壊れかけのシールドを繕わなきゃいけない気分です。庵野秀明さんは、このシールドをATフィールド、Absolute Terror Fieldと呼んだわけですが、ほんとうに、全くもって世界は怖いものです。それでいて楽しく愉快でもあり。

おかげで生きるのに飽きません。