人には見えづらいところで

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これでいいのだろうか、と何度も自問自答する。

 

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朝起きると、胃が痛い。こうなってくるとさしもの私でも、薬を飲まざるを得なくなってきます。4日分しかないのに、これからGWなのに、大丈夫だろうか。ついでに言うと平成も終わるらしいのだ。もう一度。大丈夫、だろうか……?

雑な感想を申し上げますと、どこかの有名な星占いで「今年からここまでの努力が報われ始めます」「来年は大躍進の年です」「今年は人からはあまり変わってないように見えるかもしれません。人には見えづらいところで云々」ということだったので、今年は何か基礎的なものを盤石にするための年なのかな、と勝手に解釈している次第です。

 

体の具合はすこぶる悪く、しかし、スケジュール帳を見ると4月上旬は結構動いていたようだった。もう上旬のことなんて憶えていません。たぶん3年くらい前のことでしょう。たしかに長谷川潔展にも行ったし、井の頭公園で楽しくクレープ食べたし、そこで散り際の桜も見た。澄んだ空気を通って地上に届けられる金色の光と、清潔そうな緑の池の水。そこに、流れによって集められた桜の花弁が、滞留している。

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ええ、急に思い立って近所に写真を撮りに行き、そこで竹林を発見し、今度たけのこ買おう、たけのこご飯だ!となったのも、たしかに在ったことなのでしょう。

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体の具合がすこぶる悪いのは、月半ばまで動きすぎたせいなのでは?という疑念が頭を擡げます。もたげる、なるほど、よめない。漢字の変換は現代人の頭をばかにします。

……わたしは、ちゃんと前に進めているでしょうか。今無職であることそのものは、まあよいのですが。特段問題でない。そうではなく……ちゃんと生きている心地がしているのだろうか、みたいな話です。何事にも一生懸命だと言われるけれど、その理由は生に対するどうしようもない空虚感があるからだと自分では思っています。わたしは一生懸命なわたしが全く嫌いでなく、むしろ好いているわけですが、その理由について考えてみると、なんだかなあという気持ちになります。

ひどく自己に厳しく、他人はどうでもいい。社会カテゴリーから外れているけれど、それそのものが空虚さにつながっているわけではないと思う。なぜなら、社会カテゴリーが自分にとってそれほど、他の人たちほどに意味を成すとは考えにくいからです。
学校に行かずにいられたのは、高校も大学も中退してしまえるのは、その場所が自分にとってあまり意味を成すとは思えていないから、です。無職、という恐らく社会的には「えっお前無職なの!なんで働いてないんだよ!」というこっぴどい指摘を受けるに値するものでさえ、恐らく人よりずっとその批判に対して耐性がある。選ばれしものにしかなれないとはよく言ったもので。

 

消費文明に加担したくない、みたいな感情があります。どうにも心が痛むのです。そして疲れる。さてここで資本主義はんたーい!みたいなことを声高に叫んでみてもよいけれど、まあ、格好が悪いですね。正直物事の善悪なんて、それは個人個人が決めることで、真に正しいことなんてないように思えます。考えるべきは自分にとって何が正しいか、であり……。

わたしはゆっくり生活していたいのだと思います。あとは役に立つことを、何か。修理修繕の類とか、保守点検とか。そういう地道でコツコツした裏で生活を支える何か、とても好きです。

 

さて、タウンワークでも見るか……………。

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