メモ

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体調不良が続いている。体がやられると心もやられるようで、やたらと気弱である。一日中布団に寝そべり、しかし同じ体勢でいると具合が悪いので、そこは気をつけている。

昨日落とした割ったガラス瓶は、片付ける気力もなくそのままになっている。髪を整える際に使うスプレーで、中身はただの水なのだが、割れたガラスのかけらと水がフローリングに散らばり、水は蒸発し、白い跡だけがそこに残っている。また、買いに行かなくてはならない。

 

昨日はやや寒く、1日を通して20度前後……だったと思う。秋のような日で、空気は潤いを含んでしっとりとしていて、青すぎるわけでもない柔らかな青が、空に広がっていた。雲の流れに合わせて部屋の中が明るくなったり暗くなったり、そんなのを眺めていると、体の具合は悪くとも、すこし心が癒されるように感じられた。

 

昔から切り取られた空を、ずっと眺めてきた。私は体も心も人と違っているようで、寝込むことは今でも多いし、引きこもっている時期も人生のそこかしこにあった。制限された自由。どこまでも広がっているはずの空を、私はごく限られた面積の、その四角の中でしか感じられなかった。今も家にいて、布団から窓を見上げている。窓は外界と繋がっているが、そこから外には出られない。出るべきは、廊下の先にある堅牢な扉で、それは、窓と違って気軽に開閉できるものではない。透明でもない。

私はたぶん、扉より窓の方が好きなのだ。厳密に言えば、好きではないが体に馴染む。ずっと見てきた光景だ。昼間、家の中から見る眩しい外の光。夜、ひっそりと街に繰り出せば、たくさんの家の、ビルの、部屋を照らす明かりが見える。それは人が生きてそこにいることの証なのだ。

 

私にとって人は遠い。近づくことができる人というのは限られていて、その近づける僅かな人たちでさえ、きっとものすごく遠い。寂しさもあるけれど、そのかわり、ほんの些細なことで幸せを感じられる。

今でも思い出す。保健室登校をしていた中学時代、学校に向かう橋の上で、一人歩く私を、たくさんの同級生が自転車に乗って追い抜いていく。そしてその一瞬、振り向きざまに、「おはよう!」と言ってくれるのだ。その一言が当時の私にどれだけの幸せをもたらしていたか、きっと彼らは知らないのだろう。

 

ただのメモだけれど、昨日と同じ言葉で締めくくろうと思う。早く元気になりたい。