反抗

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人が意味のないものに意味を見出し、根拠のないものに根拠を求めるのは、やはり最後には死に行き着くことを知っているからなのだろうか。立ちはだかる死という壁。背後からは時間というこれまた別の壁が迫っていて、とりあえず、生まれたからには走らなければならない。最後には結局二つの垂直な壁に挟まれてプチっと消えざるを得ないのだが……。

自分には意味があると思いたいし、人生は有意義で、さて人は、世界は、醜くもあるが美しい。私としても同意見だけれど、これらは結局茫漠とした死の恐怖……、無意味、無価値への反抗なのだと思う。なぜ有意義で美しいと声高に叫ぶかと言えば、現実の無意味さと無慈悲さを結局心の底から理解しているから、ではないだろうか。

私個人としては、無意味さや無慈悲さと真正面からぶつかって悩み苦しみ、その上で自分の人生や世界への自分なりの価値を打ち立てるのが一番よいのではないか、と思っている。それを実践しようとするから多分ここに色々書いているのだろうと思う。

しかし……、現代というのは、悩むにはあまりに時間が無さすぎるのかもしれない。苦しみ悩むことが人間の質を向上させるのだ!みたいなありきたりで一方的なことは言わないけれど、ただ過去にも現在にも、そして未来にもいるであろう似たような人々に、私も同じだったよと表明することには、なんとなく意味があるように感じる。その意味というのも結局自分で決めて、自分で信じたくて信じるものでしかないのだけど。

人生は無意味で無価値でも、有意義で価値あるものだと信じないと、とりあえずはやっていけないのだ。生きていくために、それくらいの方便は許してやっていいのだと思う。ただ無意味さと無価値さそのものから目を離してはいけないとも思う。それを忘れた瞬間から、何かすごく駄目になる気がしてしまうから……。

 

現実というのはロマンチックでもなんでもなく、ひたすらに泥臭い作業が続いていく。少なくとも私の目にはそう映っている。舞台裏というのはとかく見苦しいもので、派手に見える人やカッコいい人、ああなりたいと願う人の裏にはたぶん全然知りたくない「美しくなさ」がある。醜さすら美しいと言えてしまうなら、それは美しくなさ、というのがやっぱり正しいのかもしれない。

ただ人の美しくなさは、安心するのだ。よかった、あの人も美しくないんだ。そりゃあそうだよね、当たり前のことだけれど。そういう確認も何度も何度もして、物事を表面だけで判断しないように気をつける。まあ別に表面だけで判断したっていいと思うし、別に他者に攻撃的であっても何でもいいと思う。そういう人々を底の浅い人間だと断ずるのは簡単だけれど、そうでなく、彼らには彼らの役割がある。物事を動かすとか、慎重で考えてばかりの人間たちにはできないことを彼らはでき、そして別の強さを持っている。ただ自分は……なんとなくそれをやりたくないというだけで。

 

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とりあえず馬鹿みたいな話もしておきましょう。27歳にして初めて水着買ってみたぞ!

以上です……。