竹と笹、七夕の記憶

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いつのまにか7月になっていて、今日は7月5日、二日後には七夕がやってくる。

NHKニュースで、笹の出荷が最盛期だと言っていた。笹……と聞くとつい竹、厳密には孟宗竹を思い浮かべてしまうのだけれど、よく考えたら孟宗竹ほどの高さになると収穫がものすごく大変になるわけで、そうするとこれはやはり竹でなく笹なのだなあと、なんだか妙に納得した。大きく見積もっても成人男性の2倍くらいの高さしかない、慎ましくも可愛らしい笹の畑、40アール。程よく切り込まれ、皆一様に同じ長さになり、昔ながらのトラックに積み込まれていく。こうして運ばれていった笹が日本中の人々の願いの礎になると思うと、なかなかに愉快であり、そしてロマンチックである。

そんなロマン溢れる畑は、茨城県にあるらしかった。

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小学校の保健室登校仲間に、お寺の子がいた。

当時……少なくとも私の学校では不登校とか保健室登校といったものは時代の最先端をいく何かであり、私はその一番の年長者として、保健室にいたのだった。歩く社会問題だと思うとなかなか楽しい気もするが、当時はそんなことは考えられなかった。

その頃の保健室、つまり私が小学校6年生の頃の保健室には、私を含めて4人の子どもがいた。一つ下の5年生に二人、4年生に一人。手先が器用でいつも柔和なほほえみを浮かべているMくん、先述した寺生まれのSさん。それと、人懐っこい最年少の女の子。いつもは覚えているのに彼女だけ名前が出てこない。その子には虚言癖のようなものがあったけれど、なんだか愛らしく思えて、私は結構好きだった。

5年生の二人はとても大人びていて、そういう人たちがいる保健室は一応、安堵できる場所……だったのかもしれない。Mくんは繊細で創造性があり、Sさんからは強い芯のようなものが感じられた。二人は子どもながらに何か諦念めいたものを抱えていて、それが彼らの魅力を向上させ、同時に彼らをひどく苦しめていたのだと思う。同じ当事者だったけれど、私にはその一つ下の二人がとても頼もしく、そして、楽しい仲間に思えたのだった。

 

一度、保健室で七夕用に笹を飾ったことがあった。もしかしたら私が発案したのかもしれない。「これやりたい!」と言い出すのは昔から決まって私で、それに周囲が合わせてくれていたような気がする。私は昔から自分のペースでしか生きられなくて、集団の方に合わせるということが全く得意ではなかった。そういう意味で私は集団から弾かれたのではなく、自ら望んで、常に集団の外にいるとさえ思える。

話を元に戻そう。

そう、七夕である。こういう伝統行事がどうにも楽しくて、保健室で笹を飾って七夕をやりたいと言った気がするのだ。笹はホームセンターやらで売っているはずだが、何故だか笹を調達するのにSさんの家の竹林が話題に上がった。

Sさんの家には何度か足を運んでいて、昔ながらの井戸だとか広大な敷地を走り回るゴールデンレトリバーだとか、衝撃を与えると屋根の瓦が落ちてくるので突くことができない鐘だとかがたくさんあり、当時の私にとって彼女の家は愉快極まりないエンターテイメント施設のように感じられていた……のだが、そこにはやはりお寺ということで、竹林もしっかり存在していたのだった。

そういうわけで彼女の家に出向いて、念願の竹笹刈りをした……気がするのだが、残念なことに当時の記憶は絶妙に不鮮明で、あまり正確に思い出せない。しかし、とにかく七夕にはそういう思い出があって、あの竹林と保健室に飾られた立派な竹笹と、二人で掘った筍、竹に関する笑える小話等がよみがえって、なんだかひどく懐かしい気持ちになった。

 

やまなし、おちなし、いみなし。