無題

毎日本当は辟易している。考えつくすことは結局何も考えてないのと同じなんじゃないか、という疑いを持っている。

みんなありのままにいていいし、どんなに今の境遇や自分を……好いても嫌っても、結局のところそれが自分自身であることには変わりない。人は高等でなくかといって低等すぎるわけでもなく、自然の一部で、動物だ。長い時間の中、広い宇宙、観測できない無限の中で、ただ一点今のここを示しているに過ぎない。そういう意味で個なんてものは本当にごく些細でささやかなものだけれど、しかし、私は自身の体を通す形でしか世界を認識できない。

たくさんのことが矛盾していて、全部語り尽くすことができないのなら、やはりもう何も語らない方がいいのではないか、と思える。毎日思っている。大いなる無意味の前で私は膝を折り、打ちひしがれている。

 

私のよいところは諦念とパワフルさにある、と最近言われた。諦念だけの人、パワフルなだけの人はたくさんいるけれど、両方持ってる人はそういない、と。自分でもそれがいちばんの自分らしさだと思ってたから嬉しかった。

 

毎日どこか虚しい。

夢の中で、母さんが「楽しいことなんて一瞬で……、退屈な日常を始めるのよ」と言っていた。それは私の中に常に埋没している言葉であり、母さんも私も実際によく口にしている。夢の中で私は少しだけ赤みがかった鬼灯の盆栽を持っていて、日に当てようとしたが、そこには先客がいたのでほとんど当たりそうにないな、と思った。それでも僅かな光の通り道を見つけて、鬼灯の実の二つのうちの一つに光を当てた。意味はないかもしれない、と感じながら。

 

今の私に必要なことが動くこと、行動することだとしたら、いい加減この思考癖と袂を別つべきかもしれない。少なくとも考え続けても未来は開けず、長期的に見れば……考え続け考え過ぎることは、緩慢な自殺とさして変わらないのだから。全面的に手放すわけではないけれど、それでもある程度のエネルギーを現実世界に回さなければ、私はじきに絶望的な「行き止まり」に遭遇するのだ。

私はなるほど全部諦めているけれど、それでもやはり、全部諦めていない。まだやらなきゃいけないことがたくさんある。だからこうしてまた自分を奮起させ……また立ち上がらなくてはならない。本当はとても怖い。怖いから考えるのだと思っている。怖いから、思考に逃避しているのだ。

それでも考え続けることによって、逃げ続けたその先で、もうやるしかないんだと覚悟を決めることができるのかもしれない。

 

私は私に頑張ってほしい。それがどんなに困難な道であろうとも、それでも人生はそんなに悪いものでもないのだから。