お盆のこと

f:id:yakisobacurry:20190820000400p:image

私は未だ多くのことを知らない。
それらを知りたいと思っているが、思っているだけで手の届かないものや、手は届くかもしれないけれど実行するのが憚られる……といった経済的、肉体的、あるいは心理的ハードルが諸々を邪魔する。よくある話だ。

お盆にすこしだけ夢を叶えた。公園で、3人で、手持ち花火をした。小さいころから花火が苦手で、打ち上げなんて以ての外、手持ち花火すら駄目だった。大人になっても……地面をとち狂ったように回るねずみ花火は少し怖かったが、私は主観的に「剥奪された」と感じ続けてきた青春や楽しい人付き合いみたいなものが、一瞬、ちゃんと叶えられたと思ったのだ。

f:id:yakisobacurry:20190820000546p:image

 

結局それは、一歩踏み込む勇気だとか馬鹿みたいな心配性をどうにか乗り越えた先にあるんだと実感できた。そういう事実は知っていても、実行して実感しなければ……、体の一部、脳を構成する大事な何かにはなってくれないのだ。今回のことは、成功体験と言ってもいいのかもしれない。

人にこれをしたいと話し、自分でできない部分は人を頼り……。花火は西友に行ったら当たり前のように売っていたし(当たり前だ)、花火ができる公園も、案外近所にあったのだった。

 

自分にとって、何かを計画し実行することはひどく難しい。度の過ぎた心配性なので、「話が盛り上がらなかったらどうしよう」から始まり「花火の間どんな雰囲気になるんだろう」「昔花火が化学繊維の服に引火して火だるまになった事件あったよな……」「カジュアルな場だからワンピースはちょっと違うよな……」「ていうかひらひらしてると燃えそうだよな……」「何かよろしくない事態(怪我人等)が発生したとき責任の所在はやっぱり言い出しっぺの私になるのかな……」「クレームとか、何か言われないだろうか」「花火のあとはどうなるんだろう」「ご飯食べるにしてもバケツが邪魔だな……」「コインロッカーに入れればいいのかな……」「なにもわからないな…………」という感じで、頭の中ではいつも通り未来のシュミレーションと発生しうる選択肢の計算が始まり、もう、気が気でなかった。……気が気でなかったは言い過ぎかもしれないが、一瞬取りやめようかとさえ思ったのだ。

昔からずっとこんな感じなので、とにかく何を実行するのも憚られる。でも、現実にはちゃんと進めればちゃんと進んで、時間も道具も場所もそれなりに整えられていって……、それでやっと、ささやかな夢を叶えることができたのだった。

私だって自分の心配の大半が杞憂であることを知っている。やればやったになると知っている。遠い未来の計画を立てようとしないのは、来るべき日が遠ければ遠いほど、「心配」に使える時間が増えてしまうからだ。私は怖いと思うことそのものが、怖いのだ。

 

私は多分、やってみたいことが人よりずっとたくさんある。昔、人生は何故一度しかないんだろうとよく思った。五回ぐらいはやらないといけないんじゃないか。そういう気持ちを最近になって思い出した。

結局お盆という期間を楽しくさせたのは「お金」と「人」だった。割とシンプルで、同時に残酷な事実だとも思った。なんだか妙に悔しいと思った。結局そこなのか、と。しかし……、前者に関して言えば、お金をかけずとも楽しく過ごす術というのは結構たくさんあり、私はずっとそちらを選んできたから、お金を使って楽しむというのが新鮮に感じられただけなのかもしれない。

手持ち花火だけなら、ちゃんと安上がりだ。

 

なんだかぼんやりする。体は疲弊している。ちゃんと文章になっているだろうか……。