まどマギ、日曜観に行ってきました。

場所はTOHOシネマズ渋谷。小さい映画館が好みなのでこうなった。私が好きなのは今は亡きシネ・リーブル池袋、オデヲン吉祥寺、新宿ピカデリーなわけですが。こじんまりとしたところでカジュアルに観たいのですね、映画。
(ちいかわも見てるせいで倒置法使うと脳内ハチワレが「こじんまりとしたところで観たいんだね!映画!」とか言ってくる)
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さて、まどマギの映画ネタバレ感想。流石にこれは書きたくなります。各々何がどう駄目だったかの言語化合戦が繰り広げられてますが、私もそれに便乗します。なぜなら確かに語りたくなる内容だったからだ!
前回の叛逆が良かっただけに、まあみんな期待値がだいぶ高まってましたよね。延期に次ぐ延期も、なんならその期待を高めていました。だってそれってクオリティを落としたくないという作り手の矜持とか、そういうの含まれてそうじゃないですか。現実にはそうでないパターンも往々にありますが。そうでないパターンを実感している人は、延期に次ぐ延期で不安を煽られたことでしょう。
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はい、で、総括すると個人的にはイマイチでした。戦闘もイマイチ。叛逆のほむらv.s.マミが良すぎたのはある。なんか全体的にガチャガチャしてる。情報量が多い。情報量多くすればオタク喜ぶと思ってるでしょ?違います!!!!
元々まどマギって、蒼樹うめ先生の繊細で生っぽい、でもちょっと間の抜けた絵と、抽象的な演出で構成されてた気がするんですよ。つまり、不安と静けさ。ミステリアスさ。なんだかよくわからないけど怖いことに巻き込まれているという予感。日常に潜む違和感。
でも学校に行けばいつも通り友達がいて…っていうギャップがいいんです。日常と非日常の同時進行ですよね。日本のホラー的というか。「なんか怖い気がする」「なんか変」「なんか気持ち悪い」「なんか不安」「なんか嫌」。そういう違和感を丁寧に積み重ねていって、だからこそ魔法少女の仕組みやさやか魔女化、ほむらの献身がみんなの心に刺さったんだと思います。緩急があったし、カタルシスがあった。
今回の映画はえらい説明的で、とにかく画面がうるさい。画面が説明しすぎと言ってもいい。ある種こう、オタクはこういうの好きだよね?という圧すら感じる。違います!!!そういうの好きなオタクもいるけど!!!!
とにかく間がなかった。余白がなかった。浸る時間がなかったという言い方もできる。なんかいい感じの讃美歌めいた音楽がかかって、なんかお墓とか映って、なんか赤い逆光が怖くて…みたいな「ただ味わうだけ」の時間がなかったんです。
叛逆がある意味神殺し(降ろし?)だったのに対して、今回は神による悪魔殺しとも言える内容なわけじゃないですか。それならそれで神話とかからなんか引っ張ってきて、意味深長な雰囲気だけのシーン作ったりしても良かったんじゃないですか。
なんか深そうに見えるって大事だと思うんですよ。だってこれ神を扱ってるんでしょ?命、生死を扱ってるはずなんです。ただの一人の女の子が神に成った話でしょう?軽い内容のはずがないんですよ。そもそも魔法少女ってそんな軽いものなわけないよね?命がけだよね?という疑問から始まってるのがまどマギじゃないですか。
で、これって祈りの話で、神の話なんですよ。神に祈るって静かな行為なんです。泣き喚きながらやるものじゃない。泣き喚いた後に静かに体を横たえて、涙を流しながら「なんで……神様……、助けてよ…………」と一人呟くのが祈りです。理不尽への深い悲しみ。絶望。そこにあるのは闇と僅かな光と、孤独と静謐です。鴨井怜の『教会』みたいな重さなんです。月光と青銅。祈りって太陽じゃなくて月なんです。少なくともまどマギがここまで描いてきた祈りはそういう類のもので、それをアニメ本編と叛逆はできてた気がするんですね。
嫌な言い方をするなら、今回のまどマギは考察文化(≒過度な言語化や過度な分析)で育ったオタクが、ほら?考察しがいがあるだろ?一瞬映ったものにも情報量詰めてやったぞ?と言っているイキりみたいなものを感じる。
「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」。語れない領域というのが必ずあるんです。現実は言葉でできていない。言語化の際には捨て去られる情報があります。そしてなんならその捨て去った方に意味があったりする。
言語化って下品な行為でもあるんですよ。暴いて、我々の手で扱えるものにする、無粋極まりない行為なんです。逆に言えば、暴かなければ深淵のままでいられるんです。
神や生死というのは重いものです。日本人にとって神は重くないかもしれないけど(八百万だし)、まどマギ世界の神って確実にキリスト教モチーフじゃないですか。一人の少女の自己犠牲で世界を救う話ですよね。決して軽い話じゃないし、そもそもキラキラニチアサ魔法少女のアンチテーゼとして作られたのがまどマギですよね。
それなのにまあ画面も言葉も饒舌で、じゃあまどマギは神性/神秘から降りたかというと、そんなわけでもなくまどかは神続行というオチまでつく。ほむらが知ってたまどかはもう神に成り果ててしまって、人間ではなくなっている。
これがまどかが神から降りて人間に戻るなら、神秘を殺す意味で語り尽くすのもまたアリだったかもしれません。ニチアサ回帰、超スーパーハッピーエンドをやるぞ!なら理解できるんです。
……でも違ったじゃん?
まあ結局何かというと、舞台裏で語り尽くすべきことを舞台で語ったらしょうもないよねというか、表現者なら言葉でなく画で表現して見せろ!ということになるんだと思います。設計図はいくらでも緻密に作ればいい。でも表舞台にその設計図出すなよ、と。しかも出した設計図が杜撰だったら、そりゃまあ文句の一つも言いたくなります。
…というのが自分のまどマギ新作映画の感想でした。長文で心のこもった批判を書くのも、たまにはいいもんですね。







































